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とりつくしま

  1. 2012/01/30(月) 23:41:47|
  2. ★★★★★|
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東直子は、私にとっては完全に初見の方です。
歌人として、より有名な方のようですね。

この世に未練?を残して死んだ人のもとに、あの世で「とりつくしま係」なる人がやってきて、何か取り付きたいものを選ぶように指示します。
ただし、取り付けるものは無機物に限る上に、決してこの世への影響力を行使することは出来ません。
よって、取り付いた死者は、そのものが取り扱われるがままに、完全に受動的にこの世を「見る」ことしかできず、しかもそのものが壊れた瞬間に魂も消滅してしまうのです。

残された妻の日記帳に取り付く夫や、身勝手で耳が遠くなりがちな母のことが心配で補聴器となって側で見守ろうとする娘、家族のために購入したマッサージ機に取り付く父親など…。
人というものは、この世を観客として見るだけという状況に耐えることができるものなのでしょうか?
とくに、その見る対象がかつては親しく接していた人の場合には、非常に困難なことのように思えます。
裏返していえば、そういう状況であってもこの世に留まりたいという人が、幽霊となるのかもしれません。

文章もとても平易で読みやすいと思います。
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ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド

  1. 2012/01/30(月) 23:25:32|
  2. ★★★★|
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これまであまり手を出してこなかったライトノベルも読んでみようということで、ネット上のおすすめ情報を頼りに色々手を出しています。
本書は、もともとはネット上に公開されていたものが、改めて文庫としてまとめられたものだそうです。

オンラインゲーム内に閉じ込められた主人公たち。
ゲーム内での死がそのまま現実世界における死と直結するという、異常な状態において、たった一つの脱出手段であるゲームクリアを目指して戦いを続けるというものです。
あらすじ自体は、クラシックといってもいいほどのものだと思います。
さえないはずの主人公になぜかべたぼれの、アイドル的存在の女剣士とか…。
異常なほどの憎しみによって狂気を宿した人物が登場するのですが、なぜ彼がそれほど思いつめたのかについては、ほとんど説明がなされません。
続刊で回収される複線なのかもしれませんが。
また、エンディングもいまいち納得のいくものではないことから、本書はこれ一冊だけを読むべきものではなく、今後完結する大きな物語の一部なのかもしれません。

色々と読む人によっては意見があるでしょうが、これはこういうものだと割り切れば、すらすら読めて面白い一冊だと思います、
エピソードが次々と配置されているので、飽きずに読み通すことができるでしょう。
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ツ、イ、ラ、ク

  1. 2012/01/28(土) 23:40:25|
  2. ★★★★|
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姫野カオルコは、名前だけは聞いたことがあるもののどういった作風なのかすら知らない状態でした。
ネットで少し探してみたところ、もっとも有名な作品とのことで本書を一度読んでみることにしたのです。

物語は田舎の小学校から始まります。
そこでは、いろんな少女たちが子供ながらにサロンのようなものを形づくっています。
金持ちだったり貧乏だったり、美人だったりそうでなかったり…。
男に比べて早熟な彼女たちに主導されるように、徐々にクラスの男子女子の間で恋愛関係のようなものが産まれていき、それは成長するにつれて生々しいぶつかり合いに発展します。
ほとんどの人は大人になったころには、そのころの激しい恋愛関係についてはもはや過去のこととして割り切って日々を生活するのですが、中には本能のままに「墜落」した状態から抜け出せない人も…。

私は中学、高校、大学、大学院、会社とずっと男社会で生きてきたので、正直言って本書に描かれるようなコミュニティについてはあまり実感がわきません。
しかも、都会育ちでもあるので、田舎ならではの閉塞的な状況も想像するしかなく…。
「たいへんだなぁ」といった感想でしょうか。
後半の展開の速さは、暗い内容にもかかわらず不思議とすがすがしさを感じました。
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ウージェーヌ・ルーゴン閣下

  1. 2012/01/24(火) 21:39:52|
  2. ★★★★|
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ルーゴン・マッカール叢書の6作目。
本書の主人公は、「獲物の分け前」において先の見えない享楽に耽る大富豪アリスティドの兄である、ウージェーヌです。
彼はもともと、故郷プラッサンで弁護士として雌伏のときを過ごしていたのですが、ナポレオン3世によるクーデターを期にパリに移り、政治家として立身を遂げます。
ウージェーヌはナポレオン3世の治世前半期、いわゆる「権威帝政」において、内務大臣として言論弾圧などに深くかかわった人物として描かれます。

ウージェーヌもさることながら、さらに個性的なのがその取り巻きです。
自らの経営する鉄工所の近くに鉄道を通そうとするもの、県知事の職を得ようというもの、縁故の人間に実入りのいい公共の職を得ようとするもの、その他、ウージェーヌの権力のおこぼれに預かろうとするもの達…。
皇帝の側近たち、政敵、そして取り巻きの裏切りなどに翻弄され、ウージェーヌは自らの意志を越えて、高位からの失脚をくりかえします。
しかし、人からあてにされることが生きがいとなったウージェーヌは、かつて彼が与えた恩を忘れた取り巻きたちを憎むことなく、不死鳥のように権力の座によみがえり続けるのです。

このシリーズすべてにいえることなのですが、人格の高潔な人物はめったに現れません。
登場人物はことごとく品性下劣で、恩知らずかつ自分勝手です。
そうした人々が、乱れた生活の中で自らの欲望のままに生きるさまは、ある意味爽快なのかもしれません。
彼等の中央で、皆から「御大」と呼ばれているウージェーヌは一人、その混乱の中で流され続けているように見えました。
物語後半から加速度的に展開が速くなります。
登場人物が多いこともあり、それまでは読むのに気力が必要かもしれませんが…。
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職業は武装解除

  1. 2012/01/21(土) 22:25:26|
  2. ★★★★|
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アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」を読んだ私に対して、お薦めをいただいた本です。
プロフィールを見ると、著者は私と全く同世代なのですね…。

本書では、著者による紛争地における武装解除や、その後の市民の自立支援を行った経験が述べられています。
「アフガニスタンの…」でも書かれていたのですが、紛争地において最も簡単に現金を手に入れる方法は、民兵となることです。
よって、紛争がなくなることは多くの武装勢力にとっては、収入を失うことに直結しかねません。
このため、武装解除にはさまざまな抵抗があるのでしょう。

読んでいて一番驚かされるのは、著者が20代の頃から紛争地におけるさまざまな機関において、困難な現場で責任者として働いていることです。
武装解除はニーズがあっても専門知識をもった人手が足りない分野だとのことですが、そのために一人で幅広い業務を担当せざるを得ないようです。
私自身、こういった国際貢献などからは全くかけ離れた生活をしていますが、読んでいると想像もつかないほどの困難な状況ですね…。

おそらく、こういった分野に興味はあれども、どのようにすれば現場で働くことができるのかわからないという人にとって、最も参考になる本だと思います。
かなりすらすら読めるので、興味のある方は手にとって見るとよいでしょう。
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物のかたちをした知識 実験機器の哲学

  1. 2012/01/21(土) 22:07:14|
  2. ★★★★★|
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一般的には、実験機器などを製作する上では、まずはその作動原理を確立することが絶対的な必要条件だと考えられます。
確かに、クォーツ時計を作り出すためには、水晶の圧電対としての性質を理解したうえで、所望の周波数を作り出すべく発振回路を設計しなければなりません。
しかし、過去に史上初のアルコール温度計が世に現れたときには、その動作原理である液体の膨張について十分に理解されていたのでしょうか?
十分な再現性を持って所望の結果が得られるならば、原理などわからなくても道具としては役に立つものなのです。
むしろ、装置を使うことにより初めてその動作原理が判明するという、一般的に考えられるのとは逆方向の流れも決して例外的なものではなかったと考えられます。

本書では、実験機器自体が、認識論的には理論による知識と同等の「物知識」として働くことが述べられます。
中でも面白いのは、20世紀中盤以降の分析化学における大幅な変化です。
かつては、物質の中に含まれる元素を定量するためには、高校の化学の授業で習うようないわゆる「重量法」「容量法」が用いられました。
これは、物質に酸などの薬品を加えて残った反応物の重量を測ったり、物質を溶かした溶液を中和するのに必要な薬品の量を測定したりすることで、その構成元素を特定しようというものです。
しかし、現代の科学においてこれらの方法が用いられることはほとんどありません。
基本的には、分析機器を用いた物理的手法に取って代わられています。
そして、これらの装置が使われ始めた頃には、その動作原理が必ずしも完全に明らかではない状態であったこともありました。
いわば、機器自体が、定説化される以前の理論と似たような状態に置かれていたのです。

よく言われるように、実験器具は理論を作り出すための道具にすぎないのではなく、両者はほぼ同じ機能を果たしつつ並び立つものなのです。
「オーラリー」と呼ばれる太陽系儀、サイクロトロン、光電子倍増管、MRI、分光計など多くの例が用いられますが、実際に「物知識」を頻繁に用いている私にとってはとても説得的に思えました。
現代においては、多くの実験機器はとても高価になりつつあり、一式が定価で一億円を越えるものも決して珍しくありません。
こういった実験機器をひとつ購入することは、とりもなおさず新たな理論をひとつ利用可能なものとすることと等価なことなのかもしれません。

本書の前半では主に「物知識」についての基本的な議論がなされ、後半では「物知識」の影響力が広まるにつれて科学の世界に何が起きているのかが述べられます。
この種の本にしては比較的わかりやすいと思うのですが、取り扱われる装置類についての聞きかじり程度の知識と、熱力学についての初歩的な理解がないと、なかなか読みすすめるのは困難でしょう。
私自身は、サイクロトロンやMRI等についてはある程度の知識があったのですが、ジェームズ・ワットが考案したという「インジケーター」なるものについては正直言って何の装置なのかよくわかりませんでした。
(一般的に「インジケーター」といえば、表示機一般、つまりは圧力計、流量計、温度計などをすべて指す単語だと思うのですが…。)
また、ポパーの議論などについても、それほどの詳しい説明がされないまま引用されたりもするので、こちらについてもある程度知っておく必要があるでしょう。
訳者あとがきでは「一般向け」を志向した本のようですが、意外と間口は狭いようにも思います。

それでも、内容についてはとても納得できるものだと思いました。
この内容で2000円台というのは、格安だと思います。
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ボートの三人男

  1. 2012/01/14(土) 21:22:20|
  2. ★★★★|
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本屋さんでたまたま見つけた本です。
私が学生時代につきあいのあった、昔の友人が本書を気に入っていたのを思い出して、読んでみることにしました。

本書は、暇をもてあました三人の紳士と、一匹の犬がボートに乗ってテムズ川をさかのぼる道中の出来事を記したお話です。
当時は、こういう遊びが流行っていたのでしょうか?
ボートって、結構不安定だからうっかり立ち上がって河に落ち込む人もいたと推測されますが…。

大げさな言い回しと、お約束ながらも絶妙なユーモア。
古きよきユーモア小説の手本のような内容だと思います。
ただ、前半はユーモア分が大半を占めるのですが、後半部分はテムズ川流域の観光案内のような趣でもあります。
過剰にロマンティックな描写のあとには決まって何かオチがついたものなのですが、最後のほうには美しい描写のまま話がひと段落することもあり、ややまじめな文体に移っているように見えました。
どちらがよいかは読む人によるのでしょが、私自身は前半部分のほうが好きですね。

巻末の井上ひさしの解説は蛇足なようにも思えますが、丸谷才一の翻訳は素晴らしいと思います。
よくできた一冊のように感じました。
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ムガル帝国誌・ヴィジャヤナガル王国誌

  1. 2012/01/14(土) 10:17:04|
  2. ★★★★★|
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岩波書店の「大航海時代叢書」のうち、1980年代に発行された第II期分のうちの一冊です。
ほかには、「エチオピア王国誌」、「ヌエバ・エスパニャ報告書・ユカタン事物記」、「征服者と新世界」の三冊を読んできたのですが、どれもかなり大量に古本が出回っているようで、ネットで探しても1000円以下で入手可能です。
この種の本が大量に余るという事態がなぜ起きるのかについては、入手する側にとってはありがたいことなれども、よくわからないところですが…。

本書に収められているのは、下記3つの文献です。
ムガル帝国は現在のインド北部に位置することもあり、イスラム教徒がの勢力が強かったようです。
ただし、アクバル王は宗教的には寛容で、ゴアに滞在していたイエスズ会に書簡を送ってキリスト教についての教えを求めたことから、モンテセラーテがムガル帝国を訪れることとなりました。
モンテセラーテは宣教師と言う立場上、当地のイスラム教徒、およびその他ヒンズー教を始めとした異教徒の風俗に関しては嫌悪感を隠しません。
ただ、その中においてもアクバル王の聡明さについてはたびたび言及しており、ある一定の客観性を保った報告がなされているようにも見えます。
ヨーロッパのプロテスタントに対する激しい批判も散見されますが、その際には決まって「異教徒のほうがまだましである」という表現をとっています。
結局のところアクバル王はキリスト教に改宗するわけではなく、むしろ自らを中心とした新宗教を構想していたふしもあるようで、失意のうちにモンテセラーテはアクバル王のもとを去ることとなりました。

ヴィジャヤナガル王国は、デカン半島の南半分に位置した王国で、周囲の国々との戦乱と滅亡、新たな王の擁立の繰り返しにより第1〜4王朝までが入れかわりで成立しました。
バイスとヌーネスはこのうち、16世紀に繁栄した第3王朝トゥルヴァ朝時代に当地を訪れました。
彼らは商人と言う立場から、当地の風習については特に宗教的な偏見を持たずに観察を行っています。
なかでも一番衝撃的なのは寡婦殉死、いわゆるサティの習慣です。
これまでにもサティの存在は知識としては知っていたものの、花嫁が着飾ったのち油をかぶって自ら焼死するというのは改めて読むと壮絶ですね…。
やけどに苦しむ悲鳴の中、周囲には肉の焼けるにおいがしたと想像されますが、参列者はどういう気持ちだったのかがよくわからないところです。
夫につき従うのだから、めでたいことだったそうですが…。

このシリーズ全般に言えることですが、本文を読む前に巻末の解説を読んで時代背景をつかんだほうがいいでしょう。
注も充実していて読みやすく、興味があれば面白く読める本だと思います。
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アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

  1. 2012/01/04(水) 00:27:00|
  2. ★★★★|
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著者のモフセン・マフマルバフは、アッバス・キアロスタミと並んで世界的に著名なイランの映画監督です。
私は学生時代に、彼の大ヒット作「サイクリスト」を見たいと思って探し回ったことがあるのですが、結局のところ見つからずあきらめた経験があります。
今でも、マフマルバフの映画作品はどれも絶版状態。
映画監督が本職のマフマルバフ作品で一番手に入りやすいのが、本書だというのも皮肉な話です。
(余談ですが、「サイクリスト」捜索の過程でレンタルビデオ屋で見つけたのが、マリ共和国出身の映画監督スレイマン・シセの「ひかり」でした。
こんな映画がレンタルビデオ化されているのに驚いたものですが、最近この映画の全編がYou Tubeで公開されているのを知って、また驚いたものです。
http://www.youtube.com/watch?v=QIi5P6kE6oQ【フランス語】)

本書のタイトルは、タリバンによって破壊されたバーミヤンの仏像にちなんだものです。
ただし、主な話題は仏像についてではありません。
以下、作中からの引用です。
ついに私は、仏像は、だれが破壊したのでもないという結論に達した。
仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。
アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。
この短い段落に、本書の主張がすべて表れているといってもよいでしょう。
つまりは、アフガニスタンの多くの国民が長期間にわたって飢餓、内戦によって苦しんでいることについてはほとんど報道されなかったのにもかかわらず、仏像が破壊されたことだけが注目を浴びる現実を批判してのものです。
アフガニスタン人民2000万人の命よりも、仏像のほうが重要だということなのか?という問いかけに対しては、誠実に答えるのは非常に難しいと思います。

もうひと段落、引用します。
つまるところ、ターリバーンとは何か、という問いには、こういう答えが出てくる。
ターリバーンは、政治的にはパキスタンに庇護された傀儡政府であり、個々の人間としては、ムジャーヒディーンを育てるパキスタンの神学校(マドラサ)で教育された、飢えた若者たちである。
彼らはある日、飢えを満たすために神学校に入り、そしてある日そこを出て、アフガニスタン国内で政治的・軍事的な地位を手に入れた。
現在のアフガニスタン国内で現金収入を得る方法としては、ゲリラ兵となるか麻薬密売にかかわるかくらいしかありません。
もし、内戦が完全に終結してしまったら、国内最大の雇用が失われることとなるので、彼らとしては永遠に戦争状態を長引かせることを選ぶでしょう。
米国はターリバーンを力で抑え込もうとしましたが、ほぼ失敗に終わりました。
アフガニスタンの状態を改善するには、上記の構造的な問題を解決する必要があるのでしょうが、特効薬がなく苦しい状態のようです。

翻訳もわかりやすく、注も充実していて読みやすい本だと思います。
冒頭に「このレポートを最後まで読むには、一時間ほどかかるだろう」とありますが、さすがに一時間では苦しいような気もしますが…。
もう少しゆっくりじっくり読むべき作品だと思います。
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ソラリスの陽のもとに

  1. 2012/01/03(火) 23:25:38|
  2. ★★★★★|
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ソラリスといえばまず思い出されるのがアンドレイ・タルコフスキー監督の映画です。
学生時代にレンタルビデオで見たのですが、水の幻想性に満ちたタルコフスキーらしくて美しい映画だった記憶があります。
(その後、スティーブン・ソダーバーグによって「ソラリス」としてリメイクされたようですが、こちらは未見です。)
ただ、著者のレムの作品は「虚数」「完全な真空」のメタフィクション2作品を読んだことがあるのですが、どちらも私とは相性が悪く、正直言ってあまり理解できなかった経験があり、本作も期待と不安入り混じって読み始めました。

物語の舞台は不気味な赤い海に包まれた惑星ソラリス。
海それ自体が巨大な生物であることまでは判明しているものの、それ以外はほとんどが謎に包まれた存在です。
調査のためにソラリスに滞在した調査員たちに立ち現れる現象を通じて、人間とは完全に生体としての存在様式の違う生命体との接触が描き出されます。

さまざまに形を変える深紅の海と、ほぼ一日中輝き続ける赤と青の二つの太陽。
その中で自らの過去、深層心理と向き合うことを余儀なくされた調査員たちの苦悩。
美しい退廃感が永遠に続くと思われたソラリスですが、そのような生活も終局を迎えます。
しかしながら、自分自身に直面させられた調査員はたとえ母星に戻ったとしても、もとのような彼らであり続けることは不可能でしょう。

「虚数」「完全な真空」に比べると格段に読みやすく、面白い作品だと思いました。
タルコフスキーの映画とはかなりあらすじが異なっているのですが、解説を読むとレムは映画版ソラリスを評価していなかったとのことです。
確かに納得ではあります。
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沈黙の春

  1. 2012/01/03(火) 00:15:00|
  2. ★★|
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環境問題について警鐘を鳴らした最初期のものとして、世界的に有名な一冊のようです。
水俣病の科学」「専門知と公共性」など、これまで読んできた本でたびたび参考文献として挙げられていたので、いつか読んでみようと思っていました。

本書では主に、害虫駆除に用いられる殺虫剤がもつ危険性について述べられています。
人体への副作用、食物連鎖を経ることによる大型動物への濃縮、生態系の破壊に伴うある特定の生物の大量発生、長期にわたる土壌汚染など、今となってはよく知られた現象ばかりですが、本書が初めて出版された1962年当時には衝撃的だったのでしょう。
その後、ベトナム戦争における枯葉剤の大量使用と、その後の奇形児童の問題がクローズアップされることにより、化学物質の危険性に関する科学的見解が確立することになります。
本書を読むと、比較的危険性の低いDDTだけでなく、ディルドリン、クロルデン、エンドリンなどの人体への影響が強い薬品が無造作に使われていたことに驚きます。
飛行機を用いて大量にこれらの物質を散布したために、一帯に住む住民や家畜などに障害が残ったり、または死亡したりした例があったようですが、合衆国の担当者は薬品の危険性を否定し続けたようです。
このあたり、国が違っても今も昔もあまり変わらないところもありますね…。

本書の最大の欠点は、アメリカのジャーナリストの文章にありがちな冗長さにあります。
同じような議論を締まりのない文章でだらだらと繰り返すので、読みづらいことこの上ない状態です。
事例についても平文ですべてを説明せずに、表やグラフを使えばもっとわかりやすいだろうにと思うこともしばしばでした。
おそらく、全く同じ内容をもっとわかりやすく、1/3以下の文章量で説明することも可能でしょう。
読みながら、古文書の解読を行っているような気分になってしまいます。

本書の歴史的意義はともかくとしても、私のような門外漢が興味だけで読む必要は全くないでしょう。
今となっては、もっとわかりやすく当時の事情を解説した本がほかにもあるように思うのですが…。
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紫色のクオリア

  1. 2012/01/02(月) 01:45:30|
  2. ★★|
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ネット上のおすすめ情報に従って購入したものです。
著者は全くの初見でしたが、表紙絵を描いている綱島志朗のJINKIシリーズは少しだけ読んだことがあります。

他人がロボットに見えてしまうという紫色の目をした少女と、その親友の少女のお話です。
少女に訪れる過酷な将来を避けるべく、親友の少女は偶然手に入れた能力を使って未来を変えようとする…。
いわゆる、タイムリープと並行世界ものなのですが、途中で異常に話が膨らんでしまい、ビッグバンによる並行世界の可能性の発散とそれに対応する世界の収束にまで及びます。
正直言って、私にはちょっとついていきがたい内容ではありましたが…。

あとがきを読むと、綱島志朗の得意とする美少女とメカをお題として、著者が物語を組み立てたとのこと。
ちょっと無理やりな感じがするお話でした。
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戦争と人間の風土―日本を考える一つの指標

  1. 2012/01/02(月) 01:37:21|
  2. ★★★★★|
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こちらも古本屋さんで購入しました。
ワゴンセールの50円。
とはいえ、それほど期待せずに読み始めたのですが…。

本書の議論は、太平洋戦争時に捕虜になった時の、アメリカ兵と日本兵の行動の違いから始まります。
日本兵は捕虜にされそうになると、自決も辞さない態度で徹底的に抵抗しますが、いったん捕虜になったのちは機密情報を進んで提供するといった行動をとりました。
一方のアメリカ兵は、敗北間違いなしとなった時には捕虜になることには抵抗を示さないかわりに、隙あらば脱走して味方の軍人として復帰しようとします。
歴史的に中央政府が弱体であり、戦争行為が一般の民衆レベルにおいても日常と隣り合わせであったヨーロッパでは、敵に捕らわれること自体はそれほど珍しいことではありません。
勝者の側も捕虜を人質として身代金をとることを目的の一つとしているので、捕虜を傷つけることは利益にならないのです。
一方の日本では、職業軍人はともかく農民は戦争行為から遠ざかる場合が多かったので、捕虜になるという経験は例外的なものでした。
そのため、そういった非日常に耐えることができず、自決を選んだと述べられています。

これ以外に面白かったのは、敵側に対する興味の持ち方です。
太平洋戦争中のアメリカ人は、日本語の専門家を使って日本人について徹底的に知ろうとしました。
一方の日本人は、英語を敵性語として封印し、自国民の優位性を強調するばかりでアメリカ人には興味を持ちません。
他民族との同盟と敵対をその場に応じて繰り返してきた西洋人と、島国でお互いの考え方をある程度知った者同士で暮らしてきた日本人の差がここに表れているとのことでした。
安易な民族論はあまり好きではないのですが、確かにそういう傾向は今でもみられるかもしれません。
いいものを作れば売れると唱え続ける日本人と、売れるものを作ろうとする他国人…。

ここから、西洋人と日本人の死生観、国家観、戦争観などに発展するのですが、話の流れは明快で私のような素人にとってはとても納得しやすいものです。
ただ、あまりにも都合の良い証拠が次々と提示されるので、むしろ嘘くさく感じてしまうところもありましたが…。
もしかすると、専門家の方が読むといろいろとあらが見えてくる本かもしれませんん。
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住まい まち 地域 快適なまちづくりへ

  1. 2011/12/31(土) 12:40:31|
  2. ★★★|
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大阪駅前ビルの古書店にて購入しました。
amazonで検索しても見つからなかったことから考えると、半分同人誌的なものだったのかもしれません。

著者は、街づくりの専門家として活動した名古屋工業大学の助教授でした。
1988年に55歳の若さで亡くなったのですが、その後彼に教えを受けた人が中心になって彼の業績を集めたものが本書です。
高度経済成長期に活躍したこともあり、当時の急速な都市の過密化とそれに伴う住宅問題についての文書が主に収められています。

とくに、1960年代の名古屋市栄東の葵地区の再開発にかかわる住民運動には積極的なかかわりを持ちました。
空襲の焼け残り地域においては、戦前に建てられた老朽化した木造住宅が問題となり、一方空襲被害に遭った地域では、不法占拠によるいわゆる「バタヤ」と呼ばれる仮説住居が並んでいました。
ある寝具商が、一市民の活動できる範囲を大幅に超えた尽力により運動を組織しますが、結局のところはほぼ挫折に終わることになります。
原因としては、一部住民の運動に対する不信感や、寝具商に続く新たな指導層の育成が不十分だったこと、そして行政の非協力的な態度などいろいろあったのでしょうが、その内実を見つめなおした文章を読むと、著者の無念がにじみ出ているように思います。

また、当時の日本人の持家志向の高さと、貸室に住む人たちの信じがたいほどの劣悪な居住環境を実感させられます。
当時、アパートに住む人々にとっては、家族6人が2DKの狭い空間に住むということは比較的常態に近いものでした。
これは、急速に増加した都市人口に対応して、住居の質よりも量に重点を置いた供給がなされたためでもあります。
著者は、この状況についても批判を行い、高層住宅によって多くの人々に十分な居住環境を確保することを提唱しています。
現在には一般的な高層住宅も、当時は目新しいものだったのかもしれません。

ひとつひとつの意見は面白いものも多いのですが、文章の多くの部分はアンケート結果の羅列など、単なるデータの提示に終わっているようにも思えました。
高度経済成長期の住宅事情について知ることはできるかもしれませんが、私のような素人が読んで楽しむようなものではないのかもしれません。

http://www.mytown-nagoya.com/booklist/shosai/nagoya/sumaimachi.html
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ムーレ神父のあやまち

  1. 2011/12/25(日) 19:19:50|
  2. ★★★★|
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ルーゴン・マッカール叢書の5作目。
本書の主人公は、前作「プラッサンの征服」で自らの放った炎の中に燃え尽きたフランソワ・ムーレの次男、セルジュです。
両親のもつ精神の不安定さを受け継いだ彼は、狂信的とも言えるマリア信仰の中で、神父としてマゾヒスティックなまでの修養生活を送ります。
冷たい司祭館に引きこもり、変化のほとんどない生活を送っていたセルジュですが、手入れされずに植物に覆われつくした館で半ば野生児のように暮らす美しい娘に出会うことで、心に迷いが生じます。

本書で描かれるのは、教条主義的な信仰生活における静・死・冷の世界と、太陽の中で繁茂、繁殖する動植物の動・生・熱の世界の対比です。
「プラッサンの征服」においても神父は温かみのある人物としてではなく、そとから見るといったい何を考えているのかわからない陰謀家として描かれていることから見ても、ゾラは宗教に対して批判的なみかたをしていたのかもしれません。
セルジュがマリアにすべてをささげきった生活を送る様子と、娘の住む館の庭がジャングルのように生命に満ち溢れたさまが見事に描写されています。
翻訳もよいのでしょうが、ゾラの文章力がうかがえるように思いました。
ただ、それなりに長い作品なので、読み通すには多少の気力が必要かもしれませんが。
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DTIブログって?

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