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環境と文明―環境経済論への道

  1. 2009/12/31(木) 10:38:46|
  2. ★★★★|
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大丸百貨店の古本市で購入。
1993年発行なので、16年ほど前の本です。

本書で言う「環境」とは、エコ的な狭い意味合いの環境だけではなく、人間の周囲の状態という広い内容を含みます。
都市衛生、紛争、地勢など…。
その中で、経済活動による環境破壊は近現代に限ったものではなく、はるか古代文明、または文明発生以前から繰り返し発生していたことが述べられます。
特に石炭、石油の利用以前におけるほぼ唯一のエネルギー源である木材は、都市の発生とともに文明のどの段階においても大量に消費され、もともとは森林であった一帯は短期間に回復不可能な荒れ地と化します。
経済が順調に成長すると人口も増加しますが、ある時点で、人口を維持するだけの資源(木材、食料、土地)が不足し、緩やかな崩壊が始まり、後には痩せた不毛の地が残される結果を招きます。
その中で、古代以来頻繁に発生した疫病は、増えすぎた人口を抑制するといった神の手の役割を果たし、残った人々の生活がかえって豊かになることもあったようです。
(「10万年の世界経済史」でも述べられたものと、同様の主張です。)

経済活動に用いることのできる資源は有限であり、ある有限の人口以上は支えることはできないという、はるか昔からの原則は今日でも通用することのように思えます。
現代の日本では、極端に外需に依存した経済構造となっているので、たとえ国内の人口が増えたとしても産業から得られる富の総量は大きくは変わりません。
そのため、人余りが発生し、失業率の増加と所得の減少が起こっているように思います。
緩やかな人口減少を憂慮して、子供手当などの制度を検討しているようですが、大きくなったときに、国内に彼らに配分できるだけの富が存在するかどうかは、個人的には疑問ですね…。
終末論者のような、国内人口を破壊的な戦争や、病気の流行で一気に減少させるべき、との極端な主張には反対ですが、成行きに任せた人口減少を許し、身の丈に合った経済を維持するほうがよいようには思います。

本書は基本的には、データを用いず出来事を定性的に述べた、歴史書に近いものです。
地図などの図がほとんどないので、そばに地図帳などを用意しないと分かりにくい部分もありますが、文章自体は簡明で素人でも理解できる内容です。
10年以上前の発行ですが、内容としては全く古さを感じさせない本です。
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大旅行記

  1. 2009/12/29(火) 00:18:00|
  2. ★★★★|
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有名なイブン・バットゥータの「大旅行記」です。
さすがに8巻セットで分量が多いので、半年ほどかけて少しずつ読み進めました。
私は初めて知ったのですが、本書はイブン・バットゥータ自身が書いたものではなく、彼の話を聞いてイブン・ジュザイイがまとめたものなのですね。

本書は、1300年台の法学者イブン・バットゥータが故郷のマグレブ地方からアラビア半島、中央アジア、トルコ、インド、中国、モルジブ、東アフリカ、サハラ砂漠南部などの広い範囲を旅行した記録です。
特に数年間スルタンの部下として駐在したインドについては記述が詳細で、彼の地の食生活になじめなかったり、残忍な処刑を目撃したりした記録は読んでいても面白く感じました。
こういった昔の紀行文を読むといつも思うのですが、旅行中に死ぬ確率が多い当時において、それほど旅に彼らを駆り立てたものはいったい何なのでしょうか…?
イブン・バットゥータ自身も、何度も船が難破したり、山賊に襲われたり、病にかかったりして生命の危険に陥っていますし、同行の仲間が亡くなることも何度もあったようです。
それでも、少なくとも文章を見る限りにおいては平然と旅を継続しておりまして、その度胸には感心してしまいます。
当時の徒歩の旅においては、もちろん目的地の街が見えない荒野で長期間過ごすことも多く、現代の感覚から見ると心細い状況だったのではないかと思います。
信仰の力が偉大なのか、または彼が図太かっただけなのかはよく分からないところですが…。

家島彦一氏の注も非常に充実しておりまして、全くの素人でも理解するのは容易な文章となっています。
ただ、イスラムの偉人が出てくるたびに賞賛の枕詞がついてくるので、とても読みにくく感じました。
(翻訳のせいではなく、もともとの原文がそういう文章なのでしょうが。)
イブン・ジュザイイによる追加の文章も目ざわりでして、文章のリズムが崩れることもよくあります。
それでも、第2巻以降では幸いアラビアを離れ、偉人の登場回数は激減するので、特にアフリカ、インド、中国の描写は読んでいても楽しいものです。
字が小さすぎて目が疲れるのと、一冊の価格がかなり高価なのが玉にきずですが…。
あまり根をつめて読むと辛いので、のんびりと気が向くままに読むのがよいと思います。
本当にバットゥータが本書で描かれる範囲をすべて旅行したのかどうかについては、いろいろと議論もあるようですが、素人としては細かいことを気にせず緩やかに読むことができました。
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日本「半導体」敗戦

  1. 2009/12/28(月) 23:58:18|
  2. ★★★★★|
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amazonにて購入。
日経BPのサイトに面白い記事が載っていたのですが、その文中で紹介されていたのが本書でした。
光文社のペーパーバックはなぜかところどころに変な英語を挿入するのですが、はたして意味があるのでしょうか…?
(例) 2005年秋に転機 turning point が訪れた。

仕事柄外国製の装置、部材などに触れる機会も多いのですが、日本製と外国製には一般的に言って次のような違いがあるように思います。

・コアとなる部分の機能には大きな違いはない。
・見栄えや、周辺部については日本製の製品のほうが気を使っている。
・梱包も日本製のほうが丁寧である。
・外国製は、顧客ごとのカスタマイズ要求に対して融通が利かない。

たとえば装置外壁の加工について言いますと、日本製のものでは傷一つない加工を施してくるのですが、外国製だと外壁部は機能に関係がないので、思い切り手を抜いて適当な加工をしてくる、といった具合です。
しかも、外国企業はカスタマイズに対して消極的なために、顧客側は機能と関係のない部分についてはメーカー側の言いなりになるほかありません。
別の言い方をすれば、日本企業は要望になるたけ応えようとするので、装置仕様も顧客の言うがままになる傾向があるのに対して、外国企業は自ら主体的に装置仕様を決める、ということにもなると思います。

一見、日本企業のほうが顧客にとってメリットが多いように思えるかもしれませんが、顧客第一を貫くためには相応のコストがかかっており、それは製品の価格へと上乗せされることになります。
顧客側も理解しておりまして、どうせ上乗せされた金額を払うのだからと、ますます要望が厳しくなり、メーカー側にとっての負担が大きくなる…という連鎖が起きているように思います。
産業分野以外でも、日本人が丁寧な梱包や形の良い野菜に対して強い志向を持っていることを考えると、こういった過剰品質というのは国民性に由来するのかもしれません。

本書では、一度は世界を席巻した日本の半導体企業が、なぜシェアを落とし続けたのかについて詳細に分析しています。
著者は日立製作所に入社して以来、最後に早期退職を半ば強要されるまで一貫して半導体の技術者としてキャリアを積んでおり、その文章には経験者ならではの説得力が感じられます。
日本の半導体企業が、機能の過剰な高性能化ばかりを重視して、安く多く作る技術を軽視したために世界から取り残されたという主張には全くもって同館です。
個人的には、他の産業でも同様の「日本病」が蔓延しているように思います。

また、社会学者の産業分析には読むに堪えないものが多い、という主張にも、残念ながら同意せざるをえません。
いくら外部から勉強したとしても、経験者にしかわからない内情があり、多くの社会学者はそれを知らないまま表面的な分析にとどまるので、内部にいる者にとっては話にならないレベルの文献が出回ることも多いですね…。

半導体の素人にもわかりやすい本にしよう、という努力の跡は見えるのですが、残念ながら全く半導体プロセスを知らない方が読んでも理解することは難しいと思います。
また、作者がパワーポイントで作ったと思われるプレゼン資料をそのまま図として採用していることが多いので、図中の字が小さくて見にくいこともしばしばあります。
それでも、内容については分かりやすく、的を射ているように思えます。
技術者としての長い経験を持つ著者による産業構造分析、という希少な本でして、当該分野に興味のある方にはぜひお薦めいたします。
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マイトレイ / 軽蔑

  1. 2009/12/28(月) 00:08:25|
  2. ★★★|
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こちらもジュンク堂で購入。
amazonで買おうと思ったのですが、届くまでにかなり時間がかかりそうだったので、店頭で購入して送ってもらうことにしました。
5000円以上の買い物をすれば送料無料というのは、やはり便利です。

本書に収められた二編は、どちらも強く愛し合った男女の仲が、壊れてしまうまでの過程を克明に記録したものです。

「マイトレイ」では、植民地時代のインドにおいて働くイギリス人技師と、現地人高官の娘が激しい恋に落ちますが、高官に仲が露見したのちに技師は遠ざけられ、娘は家に幽閉されます。
二度と彼らに接触することを禁じる高官の命令に従い、放浪の旅に出る技師と、技師に会おうと絶望的な努力を続け正気と狂気の境に陥る娘。
あきらめる努力をしつつも娘のことが忘れられない技師に対しては、優柔不断に感じる方も多くいると思います。
驚くべきことに、本作は著者の実体験に基づいているうえに、登場人物の多くは実名だそうで、その意味では著者の過去に対する懺悔の念がこもっているのかもしれません。

「軽蔑」は、結婚後2年間は強いきずなで結ばれていたはずの夫婦が、崩壊する様を描いた小説です。
物語は一貫して夫の視点から語られますが、妻が夫に対する愛情を失いついには彼女の口から「あなたを軽蔑する」とまで言わせることになるその原因は、最後まで不明瞭なままです。
一刻も早く夫から逃れたいと考える妻と、なんとか原状復帰ができないか最後まで淡い望みを持ちつづける夫。
妻のいらだちが克明に描写される中で、彼女に共感を持つ読者の方は、客観的に見ても明らかに無駄な努力を続ける夫に対して、「軽蔑」を感じてしまうでしょう。
著者の妻は、夫に対しても隠すことなく愛人を持ったそうでして、そういった経験が本作に反映しているのかもしれません。

どちらの作品の男性にも共通していることは、絶望的なまでに過去にしばられ続け、女性の変化を望む期待に応えられないという点にあります。
「マイトレイ」の技師は、すでに主従関係にない現地高官の命令に従い続け、「軽蔑」の夫は、かつての夫婦関係を忘れることができません。
彼らはある意味「頼りない」男ではありますが、男性である私はどうしてもその意志の弱さに共感を覚え、女性の感情の強さには一歩引いて眺めてしまうような気持ちになってしまいました。
どちらの作品の著者も男性であり、男性の視点から描かれているというのも、私が男性側に共感を持つ理由なのかもしれませんが…。

2作とも、相当に良くできた作品なのでしょうが、個人的には登場人物の強い感情がひっきりなしに露わになる小説は苦手でして、正直言って読むのを辛く感じました。
(とくに「軽蔑」のほうについて言えることですが。)
多くの方にとってはお薦めできる本ですが、私自身は二度と読むことのない作品だと思います。
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消失と透明化の時代―20世紀文化を解読する

  1. 2009/12/26(土) 23:03:30|
  2. ★★★|
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ジュンク堂の大阪本店で購入。
科学史の書棚になかったら、怪しげな宗教か、または自己啓発か何かの本と勘違いしてしまいそうな装丁とタイトルです。
原題の「Disappearing Through the Skylight」(天窓を超えて消えていく)もどうかと思いますが…。

本書は20世紀の科学、言語、芸術の変化と、それが人間の物の見方に与えてきた影響について述べています。
数学、人工知能といったテクノロジーの分野から、詩、建築などの芸術まで幅広い話題を取り上げており、著者の知識の広さには驚かされます。
ただ、どうやら著者のバックボーンは芸術分野にあるようでして、テクノロジーを語る際にもコンピューターアートやインタラクティブノベル(アドベンチャーゲーム)などと関連付けて述べられることが多いです。
原書の発行が1989年なので、今現在から見るとコンピューターに関する記述はどうしても古臭く感じる部分も多々ありますが…。

本書のキーワードは「消失」だそうですが、私個人の感想としては、何でもかんでも無理やり「消失」につなげようとして、全体的な論理が破綻しかかっているように思いました。
せっかく題材としては面白いのに、木に竹を接ぐような印象を受けることが多く、結局のところ言いたいことがあまり伝わってきません。
もう少しすなおな記述をしたほうが良かったのでは…と、勝手ながらも残念に思ってしまいました。

全体は38の短い章に分かれており、一つ一つは読みやすい文章だと思います。
ただ、特に数学などについて述べているところでは舌足らずなことも多く、結局のところ消化不良に陥っているような感じです。
一般向けの科学雑誌などが好きな方には、興味深く思える部分も多いとは思いますが…。
表紙絵で、原題のつづりが「Disappering」となっているのはご愛嬌ですね。
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最終目的地

  1. 2009/12/25(金) 20:46:26|
  2. ★★★★|
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ジュンク堂の大阪本店にて購入しました。

本書の舞台は、ウルグアイの片田舎です。
古い屋敷に住む自殺した作家の妻、作家の愛人と子供、そして近所に住む作家の兄とその恋人(男)が、まるで時が止まったかのように静的な状態で暮らしています。
そこに、カンザスに住む博士課程の学生から、作家の伝記を書きたいという手紙が届き、これをきっかけとして彼らの人生が動き始めます。

「最終目的地」(原題では「The City of Your Final Destination」)とは、その後の人生をそこで過ごすことになる、安住の地、という意味なのでしょう。
ウルグアイでは、作家に関係した人々が、彼の亡霊に縛り付けられているかのようにその場から動けず暮らし、その地を人生の終着点と考えていました。
しかし、ちょっとしたきっかけで人生の転機は訪れ、亡霊から開放されるかのように彼らは新しい人生を歩みだします。

登場人物のごくわずかな心情の変化が、うまく表現された作品に感じました。
読後感もよく、オーソドックスな小説を読みたい時には、よい本だと思います。
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島々と階級―太平洋島嶼諸国における近代と不平等

  1. 2009/12/21(月) 22:47:42|
  2. ★★★|
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ジュンク堂の大阪本店にて購入。
定期的?に購入している、アジア経済研究所の研究双書シリーズです。

オセアニアの島々についての本は、アラビア半島やロシア以外のCIS諸国、サブサハラアフリカについての本と同様に、書店ではあまり多くは見つかりません。
国の数でいうとそれなりにはなるのですが、人口が非常に少ないのでやむを得ないところもあるのでしょう。
観光以外にはこれといった産業もなく、比較的地理的に近い位置にある日本から見ても重要度が低く、名前が知られている割には内実には触れられることの少ない地域のように思います。
地球温暖化により消滅の危機にある国家も多いようですが、注目を集めるのが難しいのもやむを得ないところですね…。

本書では、ここ数十年というつい最近に新石器自体的な生活から抜け出し、急速に資本主義が広まったパプアニューギニア高地部を始めとして、主に南太平洋西部の国々が取り上げられています。
一般的に、国家の揺籃期においては、ほとんど教育を受けたこともないような人物がのし上がって行くことが多く、時には政府の要職を占めることもあります。
一方、その次の世代においては、新興エリート層の子女にのみ教育が行き渡り、エリート層と血縁関係にあるもののみが地位を得て、階級の固定が発生する…世界中の他の地域でも見られた現象が、南太平洋の国々でも同様に起きているようです。
特に本書で扱われている国々では、未開状態からの階級の発生を詳細に観察できた数少ない事例として、研究者の注目を集めたように思えます。

ただ、これをマルクスやプルデューなどの理論と対比させるのは、個人的には、やりすぎのように思えます。
出来事自体はそれほど入り組んでいないのに、複雑怪奇な道具を用いて無理やり理念化しているように感じられました。
もう少し、事例を多く集めて、統計的に現実を捉える方が生産的なように思えます。
私自身の、嗜好の問題なのかもしれませんが…。

そんなに難しい内容を含んでいないはずなのに、文体が凝っていたりして読むのに苦労する部分が多々見受けられます。
私のような素人が、興味本位で読むような代物ではないのかもしれません。
それでも、成書の形では本書以外では見られないような内容でして、興味のある方には面白く感じられるのではないでしょうか。
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孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

  1. 2009/12/18(金) 21:40:30|
  2. ★★★★★|
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ジュンク堂大阪本店にて購入しました。
ずっと前から気にはなっていたのですが、価格がそれなりに高価なのでずっと購入をためらっていた本です。
私の場合、買おうか買うまいか迷ったものはいつかは買ってしまうことが多いのですが、今回もその法則に当てはまってしまいました。

本書では、今世紀後半にアメリカのコミュニティが崩壊していく様子と、その原因、そしてそれがもたらす影響について、大量のデータをもとに詳述されています。
たとえば私的パーティやブリッジクラブ、読書会、サッカークラブ、PTA、地域の退役軍人会など…参加者が緊密な関係をもつコミュニティが新規会員が集まらずに自然消滅する一方で、ライフル協会やグリーンピースなどのような、寄付金を払い込むだけで会合に参加しない会員を大量に抱えるメガコミュニティは膨張し続けます。
この原因について重回帰分析により考察を行っていますが、もっともコミュニティの崩壊と相関がみられたのは、テレビの視聴時間と世代の変化だそうです。
(意外と相関の見られないのは、貧困度や仕事の忙しさ、離婚率などです。)
テレビについては確かに直感とも一致する結果でして、毎週見たい番組があったり、ある芸能人が出る番組をすべてチェックしたりすると、その時間は必ず家にいなければならないので、コミュニティに参加することはできません。
私自身は、テレビの内容が、直接的に子供の教育に対して悪影響を与える、という主張に対しては相当疑問を感じていますが、コミュニティへの参加機会が減少することに対する懸念はもっともなことだと思います。

そして、もうひとつの原因である「世代の変化」については、最近読んだ「希望学」を思い出しました。
第二次大戦期には、アメリカ国民の大多数が自国の勝利を望んでおり、隣人同士が同じ事柄に対して関心を持っている一体感を持っていました。
戦後、特にベトナム戦争を経ることで、アメリカ人は一般化された理想、「希望学」でいうところの「フィクション」を失い、コミュニティの崩壊が始まったのでしょう。
これはまさに現代の日本についても言えることでして、戦後国民共通の物語であった経済成長も今では輝きを失い、ご近所の付き合いも消滅しつつあります。
コンパクトシティの計画とデザイン」では住宅政策により問題を解決しようという思想でしたが、本書を読んだ後ではそれほど簡単にはコミュニティの回復は望めないように思えました。

冒頭にも書いたように、相当高価な本である上に分厚く、読みとおすにはそれなりの根気が必要ですが、翻訳も大変読みやすくお勧めできる本です。
なお、タイトルは「ボウリング・フォー・コロンバイン」からの連想だそうですが、まさに孤独な銃乱射犯と重なる、良い題名だと思います。
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考える物質

  1. 2009/12/12(土) 22:31:01|
  2. ★★★|
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ジュンク堂の大阪本店にて購入しました。
本書の訳者である、浜名優美氏が翻訳したブローデルの「地中海」を読んだことがあるのですが、お世辞にも読みやすい訳と言えるような代物ではありませんでした。
これは原書の文体に責任があるのかも、と思っていたのですが、浜名氏の著作である「ブローデル『地中海』入門」も同じくらい読みにくい日本語だったので、どうやら訳者の日本語能力が原因だったようです…。
このような悪い思い出があったので、購入前にはかなり念入りに立ち読みしたのですが、幸いなんとか私でも理解できる内容だと判断し、買ってみました。

本書は生物学者シャンジューと、数学者コンヌによる、人間の思考過程に関する対談(討論?)記録です。
シャンジュー氏は、ベストセラーとなった「ニューロン人間」において、人の心はすべてニューロンとシナプスの働きにより理解できるという、極端に還元主義的な主張を行った人物で、一般にもかなり名の知れた方だそうです。
一方のコンヌ氏は、35歳でフィールズ賞を受賞しており、こちらはシャンジュー氏よりもメディアへの露出が少ない純粋な学者です。

議論は、数学者はすでに存在する数学的対象を発見し続けているのか、または数学とは人間の脳内で作り出される構造物に過ぎないのか、といったことから始まり、ついには人間と人工知能の違いとは果たして何であるか?というところまで到達します。
コンヌ氏は、機械は何らかの評価関数を与えられ、これに基づいて評価を最大化するような行動をとることは可能だが、自ら評価関数を作りだすことはできない、と主張しています。
以前読んだ「コンピュータには何ができないか」においても同様のことが述べられており、私も全く同感です。
コンピュータは初めて出会う場面においては、「何を基準として判断すればよいか」がわからないので、現段階においては人間が前もって指示してやらないと全く動くことができないのです。
コンヌ氏の言うように、「評価関数を作り出すことができるようになるためには、人工知能が感情を持つ必要がある」ということが正しいかどうかは、正直いって難しいところだと思いますが…。

本書は対談形式ではありますが、議論は基本的には平行線でして、話がかみ合っているとは言いがたいと思います。
シャンジュー氏の押しが強すぎて、コンヌ氏がものを言わせてもらえない、という雰囲気ですね…。
お互いが自分の思うことを言い続けるのみで、果たして対談である必要があったのかどうかは疑問です。
双方の主張自体は面白く、翻訳も危惧したほどには悪くないのですが、やや期待はずれの本でした。
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失踪者 / カッサンドラ

  1. 2009/12/06(日) 21:28:32|
  2. ★★|
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amazonにて購入。
ヴォルフなる作家は、初めて知りました。
肖像見ると男にしか見えなかったのですが、実は女性でフェミニズム系の方なのですね…。
解説読んでも、しばらく私の中で話がかみ合わず苦労してしまいました。

「失踪者」のほうは、カフカの他の小説と同じく、あらすじはあるものの、全くもって筋道だっていません。
それでも「審判」などはクライマックスらしきものが存在するのですが、本作についていうと山場や落ちなどはなく、ただひたすら主人公の人生が理由もなく浮かび上がったり沈んだりを繰り返します。
この世というものは何かの原理に従って動くのではなく、とにかく不合理なものである、ということを表したものなのでしょうが、さすがに読んでいて辛くなってしまいました。
芸術としては前衛映画のようで意義のあるものかもしれませんが、エンターテインメントとして読むには辛い作品であるように思います。

「カッサンドラ」のほうは、トロイア戦争を題材にした小説です。
誰にも予言を信じてもらえないという呪いをかけられた女神官カッサンドラが、戦いに敗れた後、死の直前にその生涯を回想する、という形式をとっています。
戦争により女性が被る被害について、女性的視点から述べられておりますが、ギリシア神話についての知識が全くない私には、筋道を追うだけでも相当辛いものがありました。
文体としては「ハドリアヌス帝の回想」に近いものを感じましたが、比較的淡々とした調子がずっと続くので、あわない人にとっては苦しいかもしれません。
(なお、私は「あわない」人に属するようです…。)
男性である私には、実感としてフェミニズム作家たちの主張がいまいちよく分からないところもあり、彼女たちの著作を読んでもぴんと来ないことが多々あります。
本作もそういった小説のひとつでして、言いたいことはわかるもののその内容が頭に入って来ず、上滑りしたまま終わってしまいました。

どちらも、芸術的価値は分かるものの、読んでいて決して楽しいものではありませんでした。
作品に問題があったわけではなく、私との相性が悪かったのだろうと思いますが…。
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希望学[1] 希望を語る

  1. 2009/12/05(土) 22:41:26|
  2. ★★★★|
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ジュンク堂大阪本店にて購入。
タイトルと目次をパラパラ見ただけで、レジに持っていってしまいました。
こういうインパクトのある題名を持った本は、大はずれすることも多くないのですが…。

本書の冒頭、「はしがき」には希望学が生まれた瞬間がまず述べられます。
2004年1月、希望学の誕生のきっかけは、思いがけないものだった。
ある朝の早朝、後に希望学創設メンバーのひとりとなる玄田有史に突然、ひとつのフレーズが、ふと浮かんできた。
「かつて希望は社会の前提だった。」
これだけ見ると単なる思い付きのように思えますが、本書に掲載されている文献では、様々な分野の専門家が「思いつき」を学問化しようとする意気込みが感じられます。

先述の玄田氏は、あるIT系企業を退職する二人の女性の退職理由を最初に挙げ、これをスタート地点として希望についての考察を行います。
1. このまま会社で働いたとしても、先がまったく見えないから辞めた
2. このまま会社で働いても、先が見えてしまったから辞めた
これら二つはまったく対照的ながらも、共通するのは収入や待遇ではなく、働く希望をまったく失ってしまったことによるものだということです。
「職業に関するアンケート調査」「仕事と生活に関するアンケート調査」を行った結果を分析し、希望学プロジェクトのメンバーと議論する中で、以下に引用するような「フィクション(物語)」が希望であるという議論に到達します。
個人の多くが常に希望を求めざるを得ないのは、未来に進むためのエネルギーとして、事実でもない、かといって嘘でもない、望ましい方向を示すフィクションを必要としている (中略)。
その意味で希望とは、まさにフィクションそのものなのである。
離職女性の例に戻れば (中略) そこに欠如していたのは、職場で共有される、嘘でも事実でもない、望ましい方向性としてのフィクションであり、物語だったのかもしれない。
(中略)
見えそうで見えない未来に、損得勘定を越えて向かってみたい。
そんな働く過去や未来を語れる物語が職場にあったなら、希望は失われなかっただろう。
引用だけでは分かりにくいので少し(乱暴に)補足しますと、その職場において自らが将来なりたいと願うような状態、またはなるに至るまでの過程を「フィクション(物語)」と呼んでいます。
かつてと比べて世の中にフィクションが不足しているのかどうかについては、私にはよくわかりませんが、フィクションを失った人が希望を失うというのは全く同感です。
冒頭の二人の女性についていうと、個人的にはどちらも似たようなことを言っていて、
1. このまま会社で働いたとしても、自らの将来に対する理想像がまったく見えない
2. このまま会社で働いたとしても、自らの将来が理想と程遠いのが見えてしまった
ということなのではないでしょうか?

現代は社会の変化のスピードがどんどん速くなるといわれていますが、個人的には全く逆の印象を持っていまして、体感的にはほとんど変化を感じなくなってきました。
かつては全く新しいコンセプトの機械や仕組みがどんどん産み出され、日々仕事のやり方も変わっていくであろうと予想されていましたし、実際いろいろな点で大きな変化がありました。
現在でも、ITをはじめとした変化はあるものの、それらが産み出すのは効率化、事務作業の簡素化でしかなく、ひいては労働強化と人員削減くらいのものであって、それほど輝かしい未来とは関係なさそうだと大体予想がついてしまいます。
そういった中、自らの数十年後を望ましいものとしてみることが難しくなっている、ということが希望を失いつつある原因の一つに思います。

提唱されてから日の浅い学問でもあり、内容としてもまだまだこれからに思えるものも多いですが、今後どう発展していくか楽しみでもあります。
読んでみてがっかりする、ということだけは決してない本だと思います。
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