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謎の独立国家ソマリランド

  1. 2013/03/28(木) 23:26:28|
  2. ★★★★|
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ジュンク堂で大々的に売り出していたのを見て購入しました。
店内のアナウンスを聞くと、当日は著者の講演会が催されていたのですが、会場近くに行ってみると結構な人が集まっていたので、人ごみがあまり好きではない私はすごすごとかえってきました。
私はよく知らなかったのですが、かなり有名な方のようです。

ソマリアといえば私には、オマーン帝国がマスカットからザンジバルへ遷都した頃の中継基地という印象があります。
一番よくオマーン帝国に関する本を探していたのは「海のアジア」を読んでいた頃なので、10年ほど前のことだったと思います。
ただ、残念ながら日本語で出版されている本にはあまり詳しく述べられているものが見つかりませんでしたし、その状況は今でもかわりません。
ザンジバル帝国が建設した都市キスマヨも、今は内戦によりかなり荒廃しているという噂ですが…。

本書の表紙には「謎の独立国家ソマリランド」という文字が目立ちますが、実は小さく「そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」というサブタイトルが記されています。
実際、ソマリランドについての記述だけではなく、ボサソを中心としたプントランドとソマリアの首都モガディショについても相当詳しく扱われています。
現地で現地人とともに長期間過ごした人にしか理解できない内容がたっぷりと詰め込まれており、本書を読むだけで少なくともソマリアについてわかった気分になってしまいます。
(実際に、この内容が正しいのかどうかは検証のすべがないのでよくわからないのですが。)
なぜ、北部ソマリア(ソマリランドとプントランド)と比較して、南部においては争いを止めることが難しいのか?、いかにして海賊ビジネスが成り立っているのか?など…。
ソマリ人たちの氏族主義的な考え方に触れるにつれ、自分たちの感じ方、常識だけですべてを理解しようとする不毛さを強く感じさせられます。

ソマリアの氏族についての理解を助けるために「ハウィエ源氏」とか「イサック奥州藤原氏」などといったように、氏族名に日本の戦国武将の苗字をつけているのですが、私にはむしろ読みにくかったです。
私自身が日本史に疎いせいかもしれませんが、普通に説明したほうがまだわかりやすいと思いますが…。

500冊目のごあいさつ

  1. 2013/03/23(土) 22:11:47|
  2. 本ブログについて|
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5年ぶりにレビュー以外の記事を投稿してみます。

2008年3月に本ブログを開設してから、ほぼ5年かけて500冊となりました。
(上下巻セット等は全部でひとつの記事にしているので、正確には「500作品」ですが。)
私は漫画以外の本は、読み終えたあとすべて記事にしているので、一年当たり約100冊程度読んでいることになります。
私はほとんど図書館を利用せず、読む本は基本的に購入します。
大量の漫画も買っているので、あまりまじめに計算したくない程度にはお金を費やしてしまいました。

このブログを開設した頃には私は30代前半の独身男性でした。
そして5年経った今、私は幸か不幸か30代後半の独身男性となっています。
一応フルタイムの職に就いていて生活に多少の余裕がある上に、本を読む以外にはほとんど趣味がないため、今後も今までと同程度には書籍代が積みあがっていくことでしょう。
なお、amazonアソシエイトからの収入は5年間で5000円ほどです。
年収1000円は、昭和初期なら立派なものですが平成の時代ではとても副業といえるものではありませんね。

もともと本ブログを開設した動機は、世の中のどこかにいるであろう、似たような読書趣味を持つ方と交流したいというものでした。
しかし程なくして、そのようなことはおそらく不可能であることを悟りました。
なぜならば、私自身、いったい自分で自分が何に興味があるのかまったくわからないからです。
少なくとも極端に飽きっぽいために、ひとつの分野の本を深く読みすすめることがありません。
このような状態では同好の方を見つける以前の問題です。

ただ、記事を積み重ねるにつれて、自分で自分の書いた文章を読み返すのが面白いことに気づきました。
このブログには最低限のアクセス解析機能しかついておらず、来訪者の数とリンク元程度しかわかりません。
わかっていることは、検索以外で訪れるかたは開設当時の5人/日程度から、現在は20人/日と5年間継続したわりには、読者数の増加率は非常に低いということくらいです。
それでもこのブログを続ける理由は、自分のための備忘録の意味合いが強いのでしょう。

過去の記事と最近の記事を比較すると、自分で以前に読んだ他の本への言及が増えていることに気づきます。
全く関係ないと思える本であっても、突然不思議な連想によって頭の中でつながることも多いようです。
これがいいことかどうかはわかりませんが、少なくとも参照文献を記すタイプの記事はハイパーテキストとの相性がよいことは間違いなさそうです。

もともと、このブログをはじめるに当たって、
「ブックレビュー以外の記事は基本的に投稿しない」
ことを決めていました。
そうでないと、記事の内容が多様化して、結局は途中でネタ切れになりそうだと考えたからです。
また、特にこれといった面白い出来事もない男性サラリーマンの日常に興味のある方がいるとも思えませんでした。
そして、今後もこの方針は変わりません。
(もし万一1000冊目の記事を書き終える日が来たら、またごあいさつに伺うかもしれませんが。)
新鮮味のない状態が続きますが、ご容赦いただければと思います。

日本列島その現実〈3〉農山漁村

  1. 2013/03/23(土) 21:19:14|
  2. ★★★★|
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3冊セットの最終巻です。
本書の発刊は1972年、今から40年ほど前のことです。
1960年代中盤に経済審議会において初めて「過疎」という言葉が使われてからまだ間もない時期です。
農村、漁村の体力低下が問題になりながもまだまだ地方にも活気が残っていましたが、減反政策や貨幣経済の深耕により第一次産業に携わる割合が減少しつつありました。

本書では、欧米型の大規模経営を目指した大潟村と根釧台地のパイロットファームが取り上げられています。
入植者の中から多数の脱落者を出しながらも日本第一の酪農地帯となった根釧台地に対して、大潟村では発足当初から米あまりの影響を受けて計画が大幅に狂いました。
稲作専業を想定した設計でしたが、現状では相当な割合の転作をせまられているようです。
日本の農業が弱体化した理由を経営規模の小ささだけに押し込めたため、このようなひずみが産まれたのかもしれません。

また、先般民主党が計画見直しを公約に掲げた八ッ場ダム問題が取り上げられていたのも印象的です。
当時はまだ計画段階であり、賛成派と反対派がにらみ合っている状況でした。
2013年現在ではまだ完成しておらず、ほぼ60年越しの計画となりそうです。

本書出版ののちほぼ30年後に「山村環境社会学序説」で「限界集落」という言葉が使われるようになるほど、地方の集落は弱体化しました。
もともと農村、漁村では食料の自給する割合が高く、それほど厳禁を必要としない生活だったのですが、本書が出版されたころには既に現金収入を求めての出稼ぎ労働が一般化していました。
現在ではさらに貨幣経済化がすすみ、離農して現金を得られる仕事を選ぶ傾向がさらに強まっています。
このため、当時はまだ兼業農家のうち第一種兼業農家の割合が大きかったのですが、現在ではほとんどが第二種兼業農家となりました。
基本的に日本の農業は、ほとんどが比較的大規模な専業農家のみに収斂するのでしょう。

本書のタイトルは「農山漁村」ですが、実際には名古屋コーチンや練馬大根などの近郊農業についても述べられており、第一次産業全般に関する本です。
前2巻と同様、政治的に感情的な議論が多いのが気になりますが…。

日本列島その現実〈2〉地方都市

  1. 2013/03/19(火) 00:03:19|
  2. ★★★★|
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同じシリーズの「巨大都市」の続きです。
本書でいう「地方都市」の定義は各々の著者によってややばらついていますが、概ね県庁所在地クラスの都市のことを指しています。
本書が出版された1972年は、赤字の地方国鉄路線の整理が始まり、全国チェーンのスーパーや百貨店の進出しつつあるものの、まだ車の普及が十分ではないためにバス路線は健在の時代です。
本書では宮崎県内のバス路線をほぼ独占する宮崎交通が取り扱われています。
当時はえびの高原の観光開発や、遊園地、植物園の経営など多角化をすすめ、県内の政治だけでなく中央政界とも深いつながりを持った企業でした。
本書内の表現を借りるならば「宮交コンツェルン」ともいえるほどの企業集合体となっていたのです。
バスの不振により産業再生機構の支援を受けた今から見ると、時代が変わったことを感じます。

また、本書を読んでいて時代を感じるものとしては、ほかにも本四架橋についての議論があります。
当時はまだ本州と四国を結ぶ橋は存在せず、淡路島経由の明石・鳴門架橋、児島から坂出を結ぶ瀬戸大橋、尾道から今治を結ぶ瀬戸内海大橋(今でいう「西瀬戸自動車道」「しまなみ海道」)のいずれから着手するべきか、論争の真っ最中でした。
1980年代に瀬戸大橋、1990年代に明石海峡大橋、2000年代に西瀬戸自動車道が開通し、昭和30年代からの計画は50年かけてすべて実現したことになります。
土木関連事業の時間軸の長さを改めて感じます。
計画開始当時に小学生だった人は、西瀬戸自動車道開通時にはもう還暦を迎えているのです。
当時の四国から本州に渡る貨物輸送は、フェリーに頼るしかありませんでした。
そのため、高松-東京間は34時間以上かかっていたのが、連絡橋により7時間程度にまで縮まると期待されたそうです。

地方都市では規模が比較的小さいために、ある少数の企業や団体の勢力が強くなることが多いです。
延岡の旭化成のような企業城下町が代表的ですが、それ以外にも静岡の鈴与グループ、富士宮の製紙工場群、佐世保の米軍基地などの例があり、どれも地方政界にも力を持つことが特徴です。
当時は特に公害問題が深刻で、地方で力を持つ企業、団体の意向に沿って住民の生活が無視される事態が各地で起きたようです。
水俣病の科学」でも同様のことが述べられていましたが、地方で独占的に力を持つものに対しては、批判が封殺されることが多いのです。
現代ではその状況が改善されているのかどうかは、私にはよくわからないところですが…。

「巨大都市」と同様、政治的な主張を強調する著者もいて、ちょっと読むに耐えないと感じる文章もありました。
それでも、玉石混交の玉の部分は興味深い内容が多かったです。

日本列島その現実〈1〉巨大都市

  1. 2013/03/16(土) 20:14:47|
  2. ★★★★|
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大阪駅前ビルの地下にある古本屋で、3冊セット500円で購入しました。

1994年に発行された「東京一極集中の経済分析」でも巨大都市の過密状態が扱われていましたが、本書はさらにさかのぼること20年以上前の1972年の出版。
「東京一極集中の経済分析」では通勤の困難や渋滞、災害時に想定される壊滅的な被害などに焦点が当てられていましたが、本書ではそれ以外にも公害が大きな問題として挙げられています。
一応、四大公害病については1960年代中には新規に患者が発生することはほぼなくなったのですが、それでも本書では川崎市などの京浜工業地帯における喘息の蔓延が問題視されています。

1970年代といえば、今ではごく普通となった排ガス浄化用触媒のハニカムセラミックスが実用化された頃です。
これにより飛躍的に排ガス中に有害物質が低減されるようになり、今では日本の大都市における大気汚染問題はほぼ解決しているといえるでしょう。
実際、国内では当時定められた自動車の排ガス規制が2000年代にさらに厳しくなり、ほとんど煤煙などを体感することはないように思います。
途上国に行くと、かつて国内で使用されていた排ガス対策の甘い車が大量に走っているので、空気の悪さを体感するのですが。

また、当時は新東京国際空港もまだ建設途上であることを始めとして、インフラが十分に整った状況ではありませんでした。
できたばかりの多摩ニュータウンへの鉄道は開通しておらず、住環境と通勤の問題が指摘されています。
多摩ニュータウン自体は今はかなり便利になったようですが、それ以外のニュータウンには結局バスさえもめったに来ないような状態のまま放置されたところもあります。
また、新幹線の騒音問題や地下水くみ上げによる地盤沈下など、現在ではある程度対策が打たれている問題も、当時はまだまだ現在進行形でした。
今から振り返れば、40年の歳月をかけて大都市はまだ相当住みやすくなったのでしょう。

個々の題材は面白いのですが、著者が政治的に偏っていて感情的な文章が目立つのが残念です。
保守系の話題を革新系の著者が、革新系の話題を保守系の著者が担当しているようで、かなり興奮して批判的なのですがそのぶん説得力に欠けます。
もうちょっと冷静にものを見た文章が好みなのですが…。

芸術新潮 2013年 03月号

  1. 2013/03/15(金) 20:10:26|
  2. ★★★★|
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普段は漫画雑誌を除いてめったに雑誌を購入しないのですが、ブリューゲル特集にひかれて購入しました。
ちょっと前に京都駅で開催されたブリューゲル展では、「愛らしい」生物やことわざへのこだわりだけに着目していて、グロテスクな部分がほとんど省略されていてがっかりしたものです。
一般に売っている雑誌ではどうなっているかという興味もありましたが、本書では「謝肉祭と四旬節の喧嘩」に登場する足なえたちの話題も回避せずに、ちゃんと取り扱われていました。

「ブリューゲル(父)の全真作を総ざらい」という表紙の文字を何気なく見逃していましたが、これは著者の立場を表すものです。
ブリューゲルの代表作とも伝えられる「イカロスの墜落のある風景」については真贋諸説ありますが、著者はこれを追随者によるコピーであると判断し、この特集で取り扱いません。
正直、私のような素人には、そのあたりの細かい議論はあまり興味はないのですが…。

以前買った「巨匠の世界 ブリューゲル」と見比べつつ読んでみたのですが、本書のほうが印刷技術が進歩したのか絵が鮮明に見えます。
「巨匠の世界」ではよくわからなかった細部が、本書では確認できました。
もともとブリューゲルの絵は無限ともいえるほど細部に富んでおり、可能な限り鮮明な印刷が望ましいのです。

正直いって内容にはあまり期待していなかったのですが、予想は完全に裏切られました。
「巨匠の世界」と比べても格段に読みやすく、なおかつ情報量はむしろ本書のほうが多いくらいです。
ブリューゲルの特集以外のページも読んでみましたが、正直興味をひくものはありませんでした。

ベトナム戦争 (コレクション 戦争×文学)

  1. 2013/03/10(日) 22:00:42|
  2. ★★★★|
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発刊された順に読んでいるシリーズです。
全20巻のうち、これで11巻目なので折り返し地点です。

ベトナム戦争については以前興味を持って、色々と本を探したことがあります。
戦地の悲惨さとかよりも、どちらかといえば戦争がその後のアメリカ社会や市民の意識にどのような影響を与えたか、について知りたいのですが、意外と適当な本が見つかりません。
私が知る限りでは、ベトナム戦争に焦点を当てたものとしては「ベトナム戦争の「戦後」」、ベトナム戦争に限らず第二次大戦後のアメリカ社会について触れたものとして「孤独なボウリング」くらいでしょうか。
輝ける嘘」はこの種の本の中でもっとも有名なものなのでしょうが、アメリカのノンフィクションにありがちなくどさがひどくて読みにくいわりに内容が薄いのです。
ブームが去って語られつくした感がかえって時間がたってからの分析を妨げているのと、あとは当事者がまだ生きていることが影響しているのかもしれません。

本書は第一部で戦地を題材にした小説、第二部でルポルタージュ、第三部で戦地以外のベトナム戦争関係の小説やエッセイが収められています。
最後にべ平連の発起人である小田実のエッセイ「戦争」を配置したのは、やはり意図的なものでしょう。
本シリーズでテーマとなった第二次大戦や日露戦争などと大きく違うのは、ベトナム戦争はあくまでも日本の大部分にとっては対岸の火事であったことです。
(沖縄にベトナムへ送られる前の米兵が大量に駐留した、という例外はありますが。)
そのため、戦争に触れようとした人は多かれ少なかれ、自ら戦争の中に飛び込んでいったという特徴があります。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」で有名な一ノ瀬泰造の「カンボジア報告」を読むと、危険に自らすすんで飛び込んでいったとしか思えない印象を受けます。
実際彼は、その後カンボジアで亡くなるわけですが…。

ベトナム戦争が他人事であった日本人が書いた小説は、どうしても他人事の内容にしかなりません。
しかしながら、その中でもベトナムに送られる前の黒人兵に脱走を教唆する中上健次の「日本語について」など、日本作家独自の視点を示すものもあり、面白かったです。
松本清張といった一流の文筆家が、ちょうどアメリカが北爆の停止を表明したタイミングでベトナムに滞在し、首相と会談できたのは僥倖でした。

獣人

  1. 2013/03/10(日) 17:21:40|
  2. ★★★★★|
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ルーゴン・マッカール叢書の17作目。
訳者によって「愛と殺人の鉄道物語」なる副題が追加されています。
これだけ見るとまるで推理小説のようですが、実際はそういった要素はほとんどありません。

ルーゴン・マッカール叢書はナポレオン3世の第二帝政期におけるパリについて、あらゆる階層の人物を描写することを目的に構想されたものです。
そのため、作中には当時のパリにおける最新の話題を数多く取り入れていました。
獲物の分け前」ではパリの再開発と土地投機の熱狂、「ボヌール・デ・ダム百貨店」では消費社会の勃興と百貨店、そして「ナナ」では舞台となったヴァリエテ座を始めとしたレビューのブーム。
本作では、当時の最先端技術である鉄道が取り上げられます。
人類がかつて手にしたことがなかったような力でもって大量輸送を可能にした鉄道は、文明の象徴でもありました。
しかし、「鉄道旅行の歴史」でも述べられていたとおり、当時の鉄道は現在と違って事故が頻発し、数十人、数百人単位の人が犠牲となる大惨事をも人類にもたらしたのです。
巨大な力を手に入れながらもそれを制御できない人類の姿が、浮かび上がります。

また、こうした先端技術とは別に、太古から人類が内在していた制御不可能な要素として、愛情や殺意といった感情の力があります。
本書においても、普通に生活する市民達がもつ激しい感情が取り扱われています。
愛する妻がかつての庇護者である裁判官に性的虐待を受けていたことを知り、嫉妬のあまり裁判官を殺害する男。
思いを寄せる男性が他の女性と恋仲にあるのを見て、二人が乗った電車を転覆させて他の乗客もろとも殺してしまおうとする踏み切り番の女性。
妻の隠し持った財産を狙って食事や薬に毒を混ぜて殺害する夫と、その悪意を見抜いたうえで財産のありかをだれにも知らせずに勝ち誇ったように死んでいく妻。
そして、本作の主人公であるジャック・ランチエは、マッカールの忌まわしき血の力により、愛する者を殺したいと思う強い衝動に悩まされ続けます。

感情と最新技術、新古の巨大かつ制御不可能な力に翻弄される人々を、見事に表現した作品だと思いました。
解説によると、本書はゾラの作品のなかでもかなり売れたほうに入るそうです。
確かに、単純なエンターテインメントとしても読みやすく、面白い本だと思います。

金融の世界史

  1. 2013/03/09(土) 08:18:49|
  2. ★★★★|
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もともと私は金融や会計等の知識は全くありません。
ただ、以前読んだ「国際会計基準戦争」が面白かったので、たまにはこの手の本を読んでみようと思って購入しました。
見た目よりも意外と価格が高くて、レジでびっくりしましたが…。

本書では、序論で近世以前の金融業、次に概ね第一次大戦前までの銀行業の展開が各国別に解説され、最後に世界恐慌から第二次大戦後の情勢が取り扱われています。
20世紀にはいってからは、金融の仕組みも複雑になっているために、私の知識では理解に苦しむところが多々ありましたが、それ以前については丹念に読めば何とかついていける内容でした。

開発のレギュラシオン」では、20世紀初頭にフランスと同等の富裕国であったアルゼンチン経済が混乱に陥っていくさまを、労使関係を軸に解説されていたと記憶しています。
本書の「アルゼンチン」の章でも、1929年の世界恐慌を境としたアルゼンチンの通貨危機が解説されています。
金本位制にあったアルゼンチンが、恐慌によって大幅な貿易赤字に転落し、金の流出を防止するために金交換を停止せざるを得なくなりました。
その後、軍部によるクーデター勃発、イギリスの金本位制からの離脱による通貨価値の動揺等を経て、イギリスの肝いりでアルゼンチン中央銀行が設立されます。
しかし、イギリス市場を守る代わりに関税の引き下げなどを強要させられたロカ・ランシマン協定など、当時の対イギリス従属的な外交スタイルは国民の不満を呼びます。
その後、ペロン大佐によるクーデターにより中央銀行は国有化されました。
そして、ペロンのポピュリズム的政策(ペロニズム)により、「開発のレギュラシオン」にもあったとおり、国家が食いつぶされていくことになるのです。

正直言って銀行なんてどこの国も同じだと思っていたのですが、国によって全く成り立ちも思想も違うことがわかって面白かったんです。
ファンドが凍結されてリーマンショックの起点となったり、インサイダーのうわさがあったりと、個人的にはダーティーなイメージがあるBNPパリバがもともとフランス国立の金融機関からきているのをいまさらながらに知りました。

オスマン帝国はなぜ崩壊したのか

  1. 2013/03/03(日) 00:05:40|
  2. ★★★|
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かつて世界のいたるところで、支配者やエリートがある種の言語を独占することで、一般民衆に対する優位性を保っていました。
例えば、西欧におけるラテン語、エチオピアにおけるゲエズ語などがその例として挙げられます。
(現代では、アフリカ諸国における旧宗主国の言語が、同様の役割を果たしているのでしょう。
セネガルではフランス語がエリート層の言語ですが、一般にはウォロフ語やフル語などの民族語しか話せない人のほうが多数派です。)
時代が下り、文語と口語が融合するにつれてこれらの言語は死語となるのですが、オスマン帝国で使われていたオスマン語もそのひとつです。
ただ、ラテン語やゲエズ語と違うのは、オスマン語が言語政策によって強制的に死語とされてしまったことです。
かつてはエリートにとって必須の教養であり、誇りの源であった言語がこのようにして消滅することには、保守的な人にとっては色々思うことがあったのではないかと想像しますが…。

本書のタイトルから想像していたのは、オスマン帝国最盛期に内在していた崩壊への遠因などについての記述でした。
しかし、実際には崩壊の道筋を丹念に追っていったものです。
かつては多民族の緩やかな共同体に近いものであったオスマン帝国は、西洋諸国から侵略を受けて求心力が弱まるにつれて、トルコ人ナショナリズムが誕生します。
その結果が悪名高いアルメニア人の大虐殺だったのでしょう。

本書において何度か、同時代の日本との比較がなされます。
日本近代技術の形成」などを読むと、幕末から明治にかけての日本人は、西洋からの侵略に対して強い危機感を持っていたことがわかります。
一方でオスマン人は、西洋に対して無邪気ともいえるほどの仲間意識を感じていました。
本書の中で19世紀末のオスマン人アリー・ケマルの文献が引用されています。
彼によれば、公正なヨーロッパ人は
トルコ人はほんとうに他の東洋諸民族よりも進歩し、高度であるようだ。
ヨーロッパ人の後塵を拝することはないし、東洋で生まれたヨーロッパ人たちよりさえ優れている。
と評価するだろうと考えていたそうです。
すでにバルカン半島の領地をほとんど失っていた時代にしては、あまりといえばあまりな楽観でした。

日本は大清帝国が西洋諸国によって無残に切り刻まれる姿を目の当たりにしたのですが、オスマンはかつて西洋と対等以上に渡り合った栄光から醒めることができなかったのでしょう。
オスマン人からは仲間だと思っていても、西洋から見ればオスマンは既に分割されるのを待つ獲物に過ぎなかったのです。

先述のとおり、期待した内容とは違いましたが、オスマンの崩壊を年代別に追っていくものとしては比較的わかりやすかったです。
なぜか、文章は読みにくさを感じてしまいましたが…。

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