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スミヤキストQの冒険

  1. 2013/06/30(日) 01:24:24|
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倉橋由美子は、10年ほど前に「現代文学の発見」シリーズの「政治と文学」に掲載されていた「パルタイ」を読んだことがあります。
非合法の左翼活動を行う若者グループが、異様に閉じた世界に収束していくさまを描いたものだったように思いますが、いまいち記憶がはっきりしません。
本屋さんでたまたま見つけたので、久しぶりに倉橋由美子を読んでみることにしました。

始祖たる「スミヤキー」なる人物の提唱する「スミヤキズム」を信奉するスミヤキ党員のQは、活動の一環として感化院に送り込まれます。
そこには、異常なまでに太っており全身の毛を看護婦に剃らせるのを日課とする院長、緻密な論理を持ち他人への関与を拒む主事、新任者には何らかの手術を行うドクトルなど、異様な人物が集まっていました。
彼らは感化院の「院児」たちを人間扱いしません。
一方の院児も一般の人間とは違ったような言葉を話し、崩壊した建物に住むさまはまるで野生動物です。
このような変人だらけの環境の中で、Qは院児たちへの感化院職員の扱いに憤慨し、感化院の革命を企てることになります。

表面上はQだけがまともな人間として扱われますが、実際は熱烈なスミヤキ党員たるQは教条的で都合の悪いものを全く見ないという性格です。
実際は感化院では院児たちの肉を加工して食料としており、Qもこの食料を食べているのですが、その事実に気づいて当然の状態でも決してその可能性に目を向けようとしません。
最後にドクトルに食人(ドクトルの論理では院児は人ではないのですが)の事実を突きつけられても、その事実を知らなかったのだから許されると逃げる始末。
最後まで自己の責任を逃れたまま、無邪気な思想にのめりこみ続けるのです。
結局は、本当にまともな人間は一体だれだったのかわからない状態でした。

すでに同じことを指摘している人はたくさんいそうですが、ずれた人間たちのどたばたという点では、筒井康隆の「虚航船団」を思い出しました。
不思議な雰囲気の小説です。

ドリアン・グレイの肖像

  1. 2013/06/22(土) 22:33:01|
  2. ★★★★★|
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もともとオスカー・ワイルドを知ったのは、友人に誘われて見に行ったギュスターヴ・モローの「出現」がきっかけでした。
ワイルドの「サロメ」は「出現」に影響を受けて作られたとのことで、私もその友人に勧められて読んだのを覚えています。
怨念というか情念があふれる話で舞台栄えしそうなのですが、文章として読むとちょっと短くて、もう少し読み応えのあるものも見てみたいなと漠然と思っていました。
最近読んだ「変態王子と笑わない猫。」という漫画にオスカー・ワイルドの警句がたびたび登場するのをみて、思い立って読み始めたのが本書です。

若さと美しさを永遠に失いたくない主人公ドリアン・グレイは、自分の代わりに肖像画が年老いていけばいいのにと強く願います。
その結果、神の仕業か悪魔の仕業か、彼の願いは聞き届けられて絶頂期と変わらない美しさを数十年間保つことに成功しました。
しかし、人生の先輩である快楽主義者のヘンリー卿の影響を受けて、ドリアンは堕落した生活を送り始めます。
彼の悪行が積もるにつれて、肖像画は次第に残忍に醜く変貌していくのですが、当のドリアンは不自然なほどの若さを見せ続け、ついには破局が訪れます。

物語の前半は、ヘンリー卿の警句が次々と現れます。
意味深そうでいて、それでいてよく読むと意味がないようにも見える警句の数々に幻惑されるうちに、ストーリーがどこに進もうとしているのか不安になってしまいます。
しかし、後半になってドリアンが年を重ねるに従い、物語は加速して読み応えが増すように思いました。
結局、ヘンリー卿はその内面が見えないまま終わりますが、ドリアンやその周囲の人の多くは破滅し、破壊的な堕落の力を感じさせられました。

本書は相当翻訳が難しい部類に入ると思うのですが、かなり読みやすい日本語となっているのは驚異的だと思います。

野火

  1. 2013/06/16(日) 21:20:45|
  2. ★★★★★|
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本書を読むのは初めてではありません。
8年ほど前に「現代文学の発見」というシリーズを読んでいたことがあるのですが、その中の「存在の探求〈下巻〉」に「野火」が掲載されていたのです。
当時たまたま仕事の関係で日本語の堪能なアメリカ人との飲み会に出席する機会がありました。
その場で、趣味が読書であると言ったところ、今どんな本を読んでいるのか?という質問を受けて困ったことを覚えています。
そのときちょうど読んでいたのが「野火」だったのです。

初めて読んだときもかなり衝撃的な物語だと思ったのですが、再読してもその印象は変わりませんでした。
最初は単なる戦争物語として始まるのですが、主人公が極限状態のなかで徐々に精神が狂うことで世界の輪郭が崩れます。
実際には主人公が狂っているのか、それとも狂っていないはずの外部の人間に狂気が潜んでいるのかはわかりません。
人を超えた存在を身の内に宿すことで、自己は分裂して常に何か超越したものの視線を感じることとなります。
その存在は彼自身の行動にも制約を及ぼし、人肉を食うことを禁じることとなります。
その後、偶然であった同僚に「猿の肉」と言われて人肉を食べさせられるのですが、果たしてこれは人間である主人公はまったく予期していなかったのでしょうか?
そして、彼のうちの彼ならぬ存在はこれを容認していたのでしょうか?

途中から文体自体の凄みが加速度的に増して、恐ろしい物語となります。
読みづらい文章なのですが、それでも読んでしまう不思議な一冊です。

シベリア旅行記

  1. 2013/06/16(日) 20:51:18|
  2. ★★★|
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「17・18世紀大旅行記叢書」なるシリーズのうちの一冊です。
以前読んでいた、「ムガル帝国誌・ヴィジャヤナガル王国誌」などが含まれる「大航海時代叢書」完結を受けて、その後の時代の紀行書をまとめたもののようです。
日本永代蔵」と一緒に古本屋で見つけて、なんとなく購入してみたものです。
このシリーズも相当な数が世に出たようで、頻繁にいろんな古本屋で見かけるように思います。

本書はフランス人の天文学者シャップ・ドートロッシュが、1961年6月6日に起きた金星の太陽面通過を観測するために、パリからシベリアのトボリスクまで旅行した際の記録です。
そのうち、専門家向きの詳細な科学的報告を除いた部分だけが訳出されています。
当時のシベリアは雪がとけると交通手段が著しく制限されるために、旅は時間との戦いでした。
しかもそりは頻繁に転覆したために、気圧計などの繊細な精密機器は次々と破壊され、相当な困難に遭ったようです。
トラブルによりトボリスクへの到着はぎりぎりになったものの、無事に所定の観測を終了してパリでこの記録が出版されるに至りました。

本書には当時のロシアの民衆の暮らしが記載されていますが、民衆は奴隷状態で自由が全くないことが強調されています。
これが当時の女帝エカテリーナ2世の逆鱗に触れ、激しい論争がなされたそうです。
ただし、当時のフランスもルイ14世の時代であり、決して自由が保障されていたとは言いがたいのですが、これは当時の西欧諸国特有の啓蒙主義的な考えによるものでした。
大航海時代に新大陸やアジア、アフリカの住民を見下した視点が、そのままロシアの民衆にも適用されたものです。

本書のうち実際の紀行文の部分は1/3程度であり、それ以外はロシアの歴史や風土の記述にあてられています。
ただ、特に歴史に関する箇所は事実を淡々と羅列したものであり、もともとの知識が無い私には冗長な文章に見えて読むのが多少苦しかったです。
ロシア人の御者が頻繁に「火酒」を飲んで馬や犬を追うのには、相当な危険を感じてしまいました。

日本永代蔵

  1. 2013/06/09(日) 00:26:37|
  2. ★★★|
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新潮日本古典集成は、注釈が読みやすい上に比較的価格が手ごろなのでお気に入りのシリーズです。
日本霊異記」以来ご無沙汰でしたが、行きつけの古本屋さんで500円で売られているのを見て購入してみました。

正直に言って、内容を全く把握しないまま読み始めたのですが、一代で繁栄したり没落したりした江戸商人たちの列伝風物語でした。
この手の本は私は解説から先に読み始めることにしているのですが、それによると本書は商人たちに向けた教訓的な説話集のような外見をしていながらも、実際は金儲けに執着するばかばかしさを風刺しているそうです。
確かに、度を越した吝嗇に対しては滑稽味を加えたかきぶりではありますが、だからといって著者が、当時の金儲け主義に批判的であったという意見は、本書の文面だけを見る限りにおいてはちょっとうがった見方のようにも思います。
幸運からチャンスをつかむものもいますが、それ以上に多く紹介されているのは、自らの機知によって金持ちへと上り詰めた商人たちです。
遊郭でたまたま見つけた値打ち物の屏風をただで手に入れて大儲けし、その遊女を買い受けて望みの男性と結婚させてやる話などは、自他ともに利を得ることができた例とされています。
見ようによっては、遊女が持っていた屏風の価値を彼女にしらせることなくだまし討ち同然で巻き上げた罪滅ぼしを、辛うじて行っただけともいえるのですが…。

また、繰り返し強調されるのは「始末」つまりは節約の重要性です。
野暮で時代遅れのかっこうであっても、丈夫で実用的な服を長期にわたって使い続けることが強く推奨されています。
今ではよく、ある程度の肩書にあるものは身なりにも気を使わなければビジネスもうまくいかないと言ったりもしますが、本書ではそのような視点は皆無です。
社会背景の違いかもしれません。

町人の生活目標として
人は十三歳までは弁へなく、それより二十四五までは親の指図を受け、その後は我と世を稼ぎ、四十五迄に一生の家を固め、遊楽する事に極まれり。
と述べられており、四十五歳以降悠々自適で暮らせるだけの財産を若いうちに苦労してためるべしとの思想です。
今と昔とでは平均寿命が異なっているので四十五歳という早い引退時期ですが、それを除けば今も昔もあまり人の考えることは変わらないですね。
実際に首尾よくこのような老後を過ごせた人は、割合としてはそれほど多くなかったのではないかと推測されますが…。

パスカル博士

  1. 2013/06/02(日) 21:45:47|
  2. ★★★★★|
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第二帝政期のフランス国民のあらゆる階級を題材にしてきたルーゴン・マッカール叢書も、本書で完結です。
ゾラが20年以上の歳月をかけて書き上げた全20巻の最終巻だけに、相当力が入っていたようで、巻頭には
私の全作品の要約にして、
結論であるこの小説を
母の思い出と愛する妻にささげる
と記されています。
20年以上かけたシリーズが無事完結するのは、私の知る限りではとても珍しい例のように思います。
多くの場合は著者が死亡したり、熱意を失ったりしてシリーズ未完となるので…。
第1巻の「ルーゴン家の誕生」には、本シリーズの登場人物全体を記した家系図が添付されていました。
(木のように下から上に時代が下るので、むしろ「家系樹(Family Tree)」といったほうが適切ですが。)
そして、本巻でもふたたび、この家系図が添付されています。

本書の主人公パスカル・ルーゴンは、ルーゴン家の祖たるピエール・ルーゴンの次男です。
彼は医師にして学者なのですが、自らの親類たちの生涯を材料として研究を続けた結果、遺伝と環境が人に与える影響を見出すに至りました。
本シリーズで描かれてきたルーゴン家、マッカール家、ムーレ家の始祖たるアデライド・フークは、神経症的な資質を持った女性です。
2番目の夫であるマッカールが憲兵に射殺された際に心の均衡を失い、次に孫のシルヴェールが六月蜂起時に兵士に射殺されたのを目撃したのちには完全に痴呆化してしまいました。
子孫にもこの性質は受け継がれ、「制作」のクロード・ランチエのように天才画家の素質を見せるもの、「ムーレ神父のあやまち」のオクターヴ・ムーレのように狂信的な信仰を見せるもの、「夢想」のアンジェリック・ルーゴンのように聖人のような神との一体感を得るもの、「ジェルミナール」のエチエンヌ・ランチエのように熱狂的な革命家となるものなど、さまざまな形体で表れました。
パスカル博士は、「獲物の分け前」に登場したマクシム・ルーゴンの不義の子である姪のクロチルドとともに、田舎でひっそりと研究生活を送っていたのですが、いつしか姪と35歳の年齢を超えて愛し合う仲となります。
しかし、姪の妊娠を知った直後に自身は心臓の病に倒れ、最期の力で家系図(樹)のクロチルドからでた芽の部分に「未知の子。どんな子だろう?」と書き残して亡くなります。

第二帝政とともに発展してきたルーゴン家。
ピエールの長男ウージェーヌは閣僚となり(「ウージェーヌ・ルーゴン閣下」)、次男のサッカールは大投機家として絶頂とどん底を味わったのち、共和派の新聞社社長としてよみがえります(「獲物の分け前」「」)。
そして、オクターブ・ムーレは大百貨店の社長として億万長者となりました(「ボヌール・デ・ダム百貨店」)。
しかし、第二帝政の崩壊とあわせるかのようにルーゴン家の血の力は尽き、子孫達は若くして運動失調症や大量の鼻血で亡くなったり、犯罪者として行方不明になったりして家系はほぼ断絶状態になりました。
これを見届けるようにして「始祖」アデライド・フークも105歳の長い、しかしその半分以上は痴呆状態で過ごした人生を静かに終わります。
唯一残された希望は、クロチルドのまだ見ぬ子供です。

本書では、パスカルの感じた科学に対する絶望と希望が述べられます。
パスカルは医師を生業とする中で、人の寿命を数年延ばすことはできても死をまぬかれることはできないという現実に直面します。
また、遺伝の力も逃れがたく、呪われた狂気の力を受け継いだものは遅かれ早かれこれに起因した最期を迎えます。
しかしながら、一方でパスカルは、遠い未来に科学の力によって人類全体がより幸せに生きることができることを信じました。
残念ながら、彼の死後に一族の汚点が明らかになることを恐れたパスカルの母フェリシテによって、重要な研究成果はほとんどすべて燃やされてしまいましたが…。

ゾラはこのシリーズを完結させた10年後、一酸化炭素中毒で亡くなりました。
彼が現代の科学を目にしたら、一体どう思ったことでしょうか?
希望を感じたのか絶望に陥るのか。

なお、ルーゴン・マッカール叢書は基本的には一巻ごとに完結した作品ですが、本書に限っては過去のシリーズを読んでいないと理解に苦しむ箇所も多いでしょう。
ぜひ過去19冊に当たったのちで読むことをおすすめします…といえども、どれも相当な大部なのではありますが。

さまざまな8・15 (コレクション 戦争×文学)

  1. 2013/06/01(土) 19:01:56|
  2. ★★★★★|
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終戦の詔書のラジオ放送を聞いたことがあるのですが、音声も不明瞭な上に使われている言葉も難解で、よくこんなものを理解できたな、というのが正直な感想でした。
勝つまでは終わらないと思われた戦争が、天皇自らの言葉で無条件降伏という結末を告げられたことは、想像できないほどの衝撃だったと想像されます。

本書で印象的だったのは、日本の本土外に残された人たちほど事実を受け止めるのに時間がかかったという事実です。
岡松和夫の「異邦人」は、ブラジル移民の子孫のうち日本の負けを受け入れられなかった「勝組」家族の行く末を描いたものです。
「勝組」たちは、敗戦を受け入れた「負組」たちを大和魂を失ったものとして激しい反発を見せた末に、日本人社会からつまはじきにされました。
「異邦人」の主人公は、ブラジルから逃げ出すように日本へ帰還し、老いて妻が亡くなってから再びブラジルを訪れましたが、戦後すぐと比較してのブラジルの発展に目を見張ります。
ブラジル人との同化を拒んだ主人公と違い、ブラジル人の妻を迎えて子供もポルトガル語を母語とするようになった義兄一家との再開は感動的でした。

また、霜多正次の「波紋」では、ニューギニアで餓死寸前のところで捕虜となった日本兵を、ラバウル島の後方で終戦を迎えた軍人が馬鹿にするさまが描かれます。
「生きて虜囚の辱を受けず」の教えを守らなかったものは、日本男児としてあるまじき姿だというのです。
しかし、後方で終戦を迎えたものは終戦の切迫感に欠け、未だに旧日本軍の階級にこだわり、将校風を吹かせます。
ついには、捕虜となった者たちが反発し、死んでいった同僚達を思いつつ将校たちに詰め寄ります。
大東亜共栄圏の思想は1000年単位のものであるから、一時の勝ち負けは些細なことであると説く旧将校たちは、今から見ると滑稽ですが、かつての秩序から逃れることの困難さを示しているように思います。

これ以外にも、終戦後に旧支配層が簡単に変節したことに絶望して自殺した息子の母家族を描いた加賀乙彦の「雪の宿」なども面白かったです。
絶対の価値を置いていた戦争というものが、一瞬で無意味なものになってしまったことへの無念が全体から感じられる一冊でした。

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