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苦海浄土

  1. 2011/03/29(火) 00:09:29|
  2. ★★★★|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4
世界文学全集のなかの一冊です。
本書についても石牟礼道子についても、全く聞いたことがありませんでした。

本書は、天草産まれの著者が水俣病と水俣に活きる人々について描いた物語です。
この文学全集のテーマとして「20世紀を世界がどう表現してきたか」があげられていたと思いますが、確かにその意味においてはぴったりですね。

水俣病の被害者のほとんどは、工業や都市生活とは関係の無い水俣漁民です。
チッソの水俣工場から流出した有機水銀により汚染した魚を食べることにより、彼らには肉体的、精神的にさまざまな病様が現れます。
痺れ、ふるえ、狂騒、失明、失聴、言語能力喪失、知的障害など…。
しかし、本当に厳しいのはその後の周囲の人々の彼らに対する態度でした。
チッソ側は、当初は自らの責任を認めようとしませんし、国による公害病認定がなされた後ものらりくらりとごまかしの言葉を並べて被害者たちを欺き続けます。
「中央公害対策審議会」なる政府の諮問機関に仲裁を任せ、その決定には何があっても従いますという白紙委任状を無知な漁民から取り付けようとするばかりで、一向に誠意のある謝罪などは行いません。
国側も患者の声を圧殺しようとするのみです。
また、チッソ工場に経済の多くを依存する水俣市民からは、水俣病患者は病気をネタにチッソから金をたかろうとする者だ、といった口調で非難されます。
チッソ側の責任が国により公式に認められることで、自らがやっと救われると考えていた患者たちは、さらに苦しめられることになりました。

著者は、患者団体によるチッソ本社座り込みにも同行し、社長を引きずり出して面会する様子を克明に記します。
チッソ側が、患者団体との対話に最終責任者たる社長が出席することを執拗に拒み続け、決定権を持たない社員が要領のえない回答を続けるさまは、ちょうと今の東京電力の姿に重なりました。
企業としては債務超過に陥るのを避けるというのは正しい姿なれども、最初に感情的にこじれてしまった関係は容易に修復できるものではありませんね…。

ただ、チッソ側の言い分のひとつである
「昭和10年代から継続して有機水銀を排出し続けているのに、昭和30年代になって突然患者が発生したということは、水銀が原因では無いことを示唆している」
というものは、理解できる内容です。
私も理系のサラリーマンの端くれですが、その場にいてもおそらく同じことを主張するでしょう。
人間は、自らの願望に近い予想を正当化しようとする性質があり、たとえ完全に理詰めだと思われるような内容であっても、その実は目に見えない思い入れが含まれていることも多いものです。
同じミスを犯さない自信は私には無く、身につまされてしまいました。

著者はもともとは詩人として有名だったそうです。
本書も単なるルポルタージュではなく、水俣方言を多彩に取り入れた「文学」に近いものだと思います。
そのぶん、時系列が予告なしに前後したり、やけに装飾的な文章があったりして読みにくいと感じることもありましたが…。
ユートピアたる水俣の地が失われ、漁民の人生が奪われるさまがみごとに描かれているように感じます。
三部作を一冊にまとめただけあってとても長大なものとなっていますが、じっくりと読む価値のある本だと思いました。
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コメント

こんばんは

伊丹のronchanです!
久しぶりに読ませて頂きました
。いつも、ホントに読み応えのある深いものを読んでおられますね!

今、地震で大変なことになっているからこそ、普通に本が読める時間が愛おしく思えます。
また楽しみにしています。
  1. 2011/03/29(火) 21:56:47 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集]

お久しぶりです。
地震は、当初はまさかこれほどひどいものだとは思いませんでした。
私は関西在住なのでほとんど直接的な被害は無いのですが、それでもニュースを見ていると心が痛みます。
  1. 2011/03/31(木) 21:08:19 |
  2. URL |
  3. mietzsche #-
  4. [ 編集]

はじめまして

赤亀と申します。「苦海浄土」でヒットして拝見させていただきました。
「同じミスを犯さない自信は私には無く、身につまされてしまいました」←恥ずかしながら僕の場合は、一度どころか幾度もだったのですが、同じように思いました。読んでいてこれが一番キツかったと言ってもよいかもしれません。
たとえば水俣市民の姿にしても、それは違うよと思いつつも自分がその場にいたらどうだったか、著者の筆に付き添われているのにかかわらずチッソの言い分に流されそうになることもあったりして、同じだったかもしれない、という疑念も否定などできず…
あと、月報で池澤夏樹も書いていますが、「水俣病」という命名に対する憤りというか不満というか、それは福島の人たちが今度の原発事故を「フクシマ」と記憶してほしくないらしい、ということに通じるのかもしれないとも思いました。
  1. 2011/09/04(日) 13:45:37 |
  2. URL |
  3. 赤亀 #-
  4. [ 編集]

初めまして。コメントいただき、ありがとうございます。

私はどちらかというと、チッソの社員の側に立ってしまったのですが、当時は有機水銀の害が立証されていなかったようです。
科学に絶対はないのですが、そのためにままありがちなのは、「自分の信じたいものを信じている」だけなのに自分では論理的に考えているつもりになってしまうことです。
幸い?にも、チッソの証拠隠滅が甘かったおかげで、今では色々とわかってきたこともあるようですが…。
(「水俣病の科学」を見ると、対照的に昭和電工の証拠隠滅がいかに完璧であったかもよくわかります。
ttp://mietzsche.dtiblog.com/blog-entry-323.html )

福島の原発の件は、確かにおっしゃるとおりかもしれません。
原発の名前がもし、「双葉原発」とかだったら、もう少し狭い範囲の風評被害ですんだかもしれませんが、あまり本質的ではありませんね…。
  1. 2011/09/05(月) 00:25:42 |
  2. URL |
  3. mietzsche #-
  4. [ 編集]

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