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言語教育とアイデンティティ―ことばの教育実践とその可能性

  1. 2012/10/29(月) 00:49:03|
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本屋さんの、外国人に対する日本語教育のコーナーで見つけたものです。

言語教育に限らずすべての分野の議論において、人は一箇所に定住するものだという前提が無意識のうちになされることが多いように思います。
男女共同の社会参画、家事、子育て論やまち作り、地方自治など…。
私自身の知人にサラリーマンや大学関係者が多いせいもあるのかもしれませんが、転居を伴う転勤を経験しない人のほうがむしろ少数派です。
この場合、上記いずれの議論においてもその大前提(家族は一緒に住むものである、人はひとつのまちに住み続ける)が崩れ去るのです。

本書の冒頭で扱われるシンポジウムに招聘されたスイス人研究者ラデンコヴィックは
移動のプロセスそのものの多様性は、教育研究全般での反応において、また教育研修において、全く―――あるいはほとんど―――、考慮に入れられてはいない。
といいます。
本書では、幼少時に両親の都合などで海外に引越し、バイリンガルに近い状態になった人や、留学で母国以外に移り住んだ人に対して言語が持つ意義を中心に述べられます。
特に、マルチリンガルな人たちは、自らのアイデンティティの形成に苦労することが多いようです。
日本語を母国語としながらも、アメリカで長期間育ったために、アメリカ的な価値観を体得した人。
中国で生まれたのに、親の転勤を理由に日本で長期間過ごしたために、自らの中国語能力が減退したことに不安を感じる人。
日本語の勉強のために日本に来たのに、日本人と会話する機会が少なく日本との交流を諦めつつある人など…。
このようななかで、日本語教育(というより、外国語教育一般)がどうあるべきかを追い求め続けています。

人の流動性が過去にないほどに高まった状態で、自らのよって立つ原点と言うものをどう考えるかは難しい問題です。
大人になってから第二外国語を学んだ場合は、ある程度自我が確立しているのでまだ葛藤は少ないのでしょうが、子供のうちから二つの言葉に引き裂かれた場合、その反応は人それぞれのようです。
本書で扱われる論点はいわれて見れば当然考慮すべきものなのですが、個人的にはあまり読んだことのない内容だったので新鮮でした。
前半のシンポジウム記録よりも、後半の各著者の論考のほうが内容が固まっていて読みやすかったように思います。
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更年期―日本女性が語るローカル・バイオロジー

  1. 2012/10/29(月) 00:25:38|
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大阪駅の地下にある古本屋さんで入手しました。
そもそも私は更年期障害にとくに興味があったわけではないのですが、「更年期」という単語のあいまいさを扱った点に惹かれて購入しました。

一般に、日本語の「更年期」にあたる英単語は「menopause」(メノポーズ)であるとされています。
しかしながら、北米においては「menopause」における症状の典型例として閉経期における「Hot flash」(ほてり、のぼせ)が挙げられるのに対して、日本の「更年期」では全く状況が異なります。
著者は多数の日本人女性へのインタビューを行い、更年期には肩こりや腰痛、疲れ、憂鬱感など、多種多様な症状が現れるといわれていること、そして日本ではほてりやのぼせは比較的まれな症状にすぎないことを明らかにします。
また、更年期障害が発症する年齢もさまざま伝えられており、人によっては閉経期のごく短い期間に限られるという人もいれば、30歳から60歳くらいまでゆっくりと顕在化するとの主張もあります。
男性にも更年期があるという意見や、更年期は単なる老化の一現象にすぎないとの説もあり、「更年期」という単語は人によって解釈や定義が著しく異なることが特徴であるともいえます。

この理由について、人種による身体面の違いを考えることができます。
たとえば、白人に比べて黄色人種は糖尿病にかかりやすいのですが、これは明らかに人種による体質の違いによるものです。
しかし、ナチスによる優性論の後遺症のため、人種の側面からの考察は半ばタブー視されていました。
著者は、人種による違いを必ずしも排除すべきでないと何度も主張しますが、それ以上に重視したのが歴史的、文化的な要因です。

本書におけるインタビューが行われたのは1980年代であり、当時更年期を迎えていた女性の多くは昭和一桁代産まれでした。
親や姑が持つ明治的な価値観と、息子や娘の持つ戦後の価値観の間で引き裂かれた年代です。
具体的には、彼女達の多くは、肉親や義理の両親の介護のため、多くの時間と労力を費やさざるをえませんでした。
また、多くの夫は家事、育児に全く関心を示さない上に、「体面が悪い」との理由で妻が働きにでるのを嫌う時代でもありました。
そのため、彼女達にはごく限られた交友関係しかなく、理不尽な扱いを家に閉じ込められた状態で耐え続けるしかなかったのです。
しかも、戦後育ちの彼女の子供たちは、結婚後すぐに核家族を形成し、彼女自身が老いたあとにはおそらく面倒を見てくれないであろうと予想されます。
このような状態が招くストレスが、更年期障害の原因の一部ではないかと著者は考えます。

また一方、西洋で一般に言われるmenopause期のhot flashについても、完全に客観的な現象ではなく、歴史的に言い伝えられてきた文化の産物であることを明らかにします。
著者は本書を通じて、更年期、menopauseというものが持つ歴史的な要因と、女性が過去からどういう扱いを受けてきたか、どのような価値観をもってきたかについて述べることを目的としました。

貧困の精神病理」を読んだ際に、一昔前のペルーで、夫が十分な稼ぎがないにもかかわらず妻が働くことを嫌っていたのを知って驚いたのですが、日本でも全く同じだったのですね…。
そのため、妻は自立して生きる力を奪われ、夫やその家族からの理不尽な扱いに耐えるしかない状態に置かれたのです。
多少は状況が改善したとはいえ、2012年現在でもそれほどの違いはないようにも思いますが…。

「更年期」「menopause」をキーワードに文化面、歴史面、医学面と多様な内容に切り込んでいるために、それなりに大部となっています。
翻訳はわかりやすいですが、読むにはそれなりの気構えがいるかもしれません。
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ジョゼフ・コーネル ― 箱の中のユートピア

  1. 2012/10/22(月) 00:34:09|
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ジョゼフ・コーネルの作品は、国立国際美術館や滋賀県立近代美術館に所蔵されているのを見たことがあります。
おおよそ50cm×30cmくらいの小さな木箱のなかに、写真や模型などが配置される独特の形式。
美術館で大判の絵や彫刻にまぎれて展示されると地味な印象を受けたりもしますが、それでもコーネルの一角は不思議な雰囲気を漂わせている用に思いました。
当人がどういった人かについては、全く予備知識無い状態でしたが…。

コーネルは当時の芸術家達にありがちな、ボヘミアン的、放縦な生活とは一線を画し、ニューヨークの郊外で母親と脳性まひの傷害を持った弟との三人でひっそり暮らしていました。
特に過干渉な母親の影響は生涯消え去ることなく、女性への憧れを持ちつつもまともに接することができずに、欲望だけが増幅する悪循環にあったようです。
老いるにつれてその衝動は強まり、自分に近づく若い女性達に、客観的に見ればスマートでない色目を使っては、気持ち悪がられて逃げられる日々。
しかも、訪問客すべてに会って、息子の交際範囲を知りたがる母親のために、ますます女性は遠ざかっていったことでしょう。
どうやらこの母親は、息子をほとんど自分の恋人に近いものと認識していたようなのです。

コーネルは肥大する自意識に常に苦しめられていたようです。
美術界で有名になろうという野望はあまりなかったようですが、それでも友人たちからひとかどの人物として認められたいという気持ちは人一倍でした。
そのため、ちょっとした言葉の行き違いからすぐに仲たがいすることもしばしば。
また、自分の作品を手放すことを嫌い、特に一人の人物がコレクションとして大量に保有することを避けようとしたようです。
画商などに委託した作品も、突然凍結されたりで商売としても難しかったことでしょう。
プライドが高く、人付き合いが苦手で、それでも認められたい欲求は強く、女性に対しては奥手かつ偶像視する、かなりエキセントリックな姿が浮かび上がってきます。
これらすべての側面において、母親の強大な影響力があったことでしょう。

タイトルは、コーネルが箱の中でのみ自らにとっての「ユートピア」を実現できたということと、その生涯の大部分をすごした家の住所「ユートピア・パークウェイ」からとられたものです。
ガラクタ置き場とも倉庫とも見えるような自宅の地下室で、毎夜彼は一人作品作りの時間を過ごしたのです。
年々偏屈になっていった彼は、その倉庫に人を招待することは、若く美しい女性を別にしてはほとんどなくなってしまったようですが…。

とても読みやすい翻訳です。
コーネル自身がもし生きていたとしたら、本書にはとても満足しなかったでしょうが…。
若き日の草間彌生がコーネルを誘惑して、彼を自らのプロモーションの踏み台にしたのを見ると、ちょっとショックです。
草間はコーネルほどナイーブでもなく、自己顕示と金銭感覚では完全に上だったのでしょう。
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日中戦争 (コレクション 戦争×文学)

  1. 2012/10/14(日) 22:31:48|
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配本順に読んでいっている「戦争×文学」シリーズの8冊目です。

本書では、第二次世界大戦のうち、中国本土での戦闘をテーマにした作品が収録されています。
和辻哲郎の「文化的創造に携わる者の立場」や小林秀雄の「戦争について」などは、戦後に大家と呼ばれた作家が、日本国の大儀を信じて興奮しているようすが見て取れます。
現代に生きる我々からは、あまりにも幼稚な感情にも見えますが、それは後からだから言えることなのでしょうか。
ただ、まだ日本中が勝利を信じていた時期においても、日比野士朗の「呉淞クリーク」や石川達三の「五人の補充将校」、田中英光の「鈴の音」など、実際に戦地に赴いた人は比較的醒めた目で戦争を見ていたように思います。
極限状態を感じたものには、戦争に対して無責任なものが感じるロマンチシズムなどは無縁なのでしょう。

私は全くの初見だったのですが、棟田博の「軍犬一等兵」は面白かったです。
軍用犬の飼育係という耳慣れない職分の兵士を取り扱っており、ユーモアを交えつつも戦争と言うものが人々に与える影響を表現しています。
本当にこのシリーズははずれがないのが、驚異的だと思います。
つまりは、私の知らない面白い日本文学が、この世にはたくさん残っているということでしょう。
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新・機械技術史

  1. 2012/10/14(日) 00:55:25|
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本屋さんで見つけて、「日本機械学会編」の文字にひかれて購入したものです。
私は機械系は専門ではないのですが、それでも「日本機械学会」の名前くらいは耳に入るほどの有名どころです。
もともと、この系統の本は過去に「精密の歴史」や「工作機械の歴史」などを読んだことがあるのですが、どちらもとても部外者に理解できる代物ではありませんでした。
さすがに、日本機械学会が編集したものだと少しは分かりやすいのではないか…という期待を持ったのです。

本書では、古代における土木建築技術から現代のナノテク分野まで、主にメカトロニクス系の技術についてわかりやすく解説されています。
産業革命以降、蒸気機関と鉄道、造船技術が飛躍的に発達したのですが、これを支えたのは炭素含有量が少ない鋼鉄を大量生産できる精錬と、金属切削加工における技術革新です。
とくに、今となってはありふれた技術となった金属加工技術も、動力を簡単には利用できなかった時代においては大変手間のかかるものでした。
16世紀にはすでに旋盤は発明されていたようですが、使用できたのは水力のみで、しかも装置の精度も剛性も今とはけた違いに低かったのです。
このような状態でなんとか大砲を作り上げていたことを考えると、蒸気機関により莫大なエネルギーを得られるようになったことは、相当なインパクトだったのでしょう。

また、パルテノン神殿の建設に用いられたクレーンについても驚きでした。
私は、ブリューゲルのバベルの塔の絵のように、建物の周りに土を積み上げて神殿を作るための足場としたと考えていたのですが、実際は木組みの複滑車により人の力を増幅させて石材を高く持ち上げたそうです。
おそらく多くの事故が起きたのだろうと想像しますが…。

事故と言えば、初期の鉄道事故の多さについても、今まであまり考えたことがありませんでした。
本書から引用します。
工学知識がないばかりに初期の鉄道では大事故が続出し、車輪のバランス不良による衝撃力でレールが折損して列車はよく脱線転覆した。
高速で移動する列車の荷重に鉄道橋の強度が耐えられず、列車が谷底へ転落する事故もあった。
そのため鉄道旅行は命がけで、交通保険が繁盛した。
この時代をサー・ジョン・テニエルが列車の通る線路に死神を描いて風刺している。
繰り返し荷重による車軸の折損(疲労破壊)、軸受け内での車軸の焼付き(液体潤滑の問題)など、工学的解決が必要な問題はいくらでもあった。
これらの事故をばねとして、材料力学、機会力学などの基礎的な工学が徐々に形をなしていった。
現在では鉄道は最も安全な交通手段の一つですが、これは今では普通に教科書にのっている基礎的な力学があってのことなのです。

本書は多くの著者により分担して作成されたために、箇所によって内容にばらつきがありますが、おおむね素人にもわかりやすい内容だと思います。
本文中の
歴史に残る発見・発明の栄誉は、いわゆるトップランナー、一番乗り、先陣にしか与えられない。
もちろん、二番でも個人の人生には貴重な体験が残るだろう。
しかし、フロンティアを目指すチームのリーダーは神に選ばれてレース場にいるのだと割り切り、恥ずかしがらずに一番を目指して壮絶に競争すべきである。
というのは、本書発行の2010年当時流行していた蓮舫氏の発言を受けたものかもしれません。
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ジェルミナール

  1. 2012/10/06(土) 19:43:43|
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順番に読んでいるルーゴン・マッカール叢書の13作目。
本作の主人公は「居酒屋」で貧困と泥酔の中で死亡したジェルヴェーズの息子で、放蕩の末天然痘で醜く死亡する高級娼婦「ナナ」の兄でもある、エチエンヌ・ランチエです。

エチエンヌは流浪の末に炭鉱夫として職を得ます。
不況化において炭鉱側が一方的に示した事実上の賃金切り下げにより、それまでもぎりぎりの生活を強いられていた労働者は、エチエンヌの先導によりストライキを組織します。
瞬く間に数少ない積立金を使い果たして餓死寸前に追い込まれる労働者と、損失を積み重ねて破綻しつつある炭鉱資本側。
ついには労働者は暴動を起こし、エチエンヌの制御を離れてブルジョアに対する収奪が始まりました。
その後、憲兵が暴徒に発砲して死傷者が発生し、労働者は敗北します。
やむなく炭鉱に戻った労働者に待っていたのは、長らく整備されなかった炭鉱の落盤事故による更なる犠牲でした…。

本書のテーマは、労働者達の共産主義、無政府主義的な幻想と、その崩壊です。
そしてもうひとつ描かれるのは、労働者が資本側に搾取されるのと同様に、小資本は大資本に搾取されるという、永遠に続く食物連鎖的な関係です。
当時流行していたダーウィンの進化論についての言及もあることから、ゾラには自然淘汰の人間界への応用も念頭にあったのでしょう。
以前読んだ住友石炭鉱業の社史でも、労働者とよい関係を保ち、労働争議をいかに抑えるかに苦心した様子が述べられていましたが、これは本書の舞台である19世紀から続く問題だったのです。

ゾラ=自然主義の典型例とも言える「居酒屋」「ナナ」といわれるくらい有名な二作品に比べて、本作は比較的有名ではありません。
人間の醜さをこれでもかと描写し続けた上記二作品がそれだけ衝撃的だったということでしょうが、下層民の生活を克明に描いたという点においては、本作も負けてはいないように思います。
若くして大勢の子持ちとなってしまう少女達、炭塵により肺の中を侵される労働者、恐慌による破産を恐れる資本家、そしてプロレタリアートの熱狂と暴徒化…。
華やかなパリ文化の影にこのような民衆の逃げ場のない状況があったのでしょう。

タイトルの「ジェルミナール」は、フランス革命政府の採用した革命暦における7月の名称で、芽吹きに由来した呼び名だそうです。
本書で採用された理由としては、労働運動の「芽吹き」という意味もあったのでしょうが、もう一度革命暦が採用されたパリ・コミューンを示唆しているのでしょう。
わずか数ヶ月で崩壊したとはいえ、プロレタリアートによる政府のさきがけとなったパリ・コミューンは、まさにエチエンヌが目指したものでした。
ゾラの時代にはまだソ連の無残な崩壊は予見されませんでしたが…。

本書は、ゾラの他の作品の例に漏れず、前半は展開が遅くて読むのが辛いですが、後半になると一気にスピードアップします。
論創社版の新訳も気になるところですが、私が読んだ中公文庫版も十分に読みやすい翻訳でした。
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